アロンゾ・パウエルとは? わかりやすく解説

アロンゾ・パウエル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 13:37 UTC 版)

アロンゾ・シドニー・パウエルAlonzo Sidney Powell , 1964年12月12日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の元プロ野球選手外野手[1]、野球指導者、スコアラー。右投右打[7]。愛称は「ゾウさん[注 1][8][10][11]


注釈

  1. ^ 「アロンゾ」の「」をもじった愛称[8]。MLB機構の公式サイトでは「Nickname: Zo-San」と紹介されている[1]ほか、ヒューストン・アストロズ打撃コーチ補佐時代の2017年のプレイヤーズ・ウィークエンドの時にはZO-SANの背ネームになっていた[9]
  2. ^ 1959年 - 1961年[15]
  3. ^ 1968年 - 1970年[15]
  4. ^ パ・リーグを含めてもこの3人と、イチロー・落合博満張本勲の計6人のみである[16]
  5. ^ 主に代打で111打数[20]
  6. ^ ライアルは来日1年目の1991年に5番打者として打率.285・24本塁打・87打点の好成績を残していたが、1992年春季キャンプ中に左膝を痛め、開幕直後から約1か月半にわたり戦線離脱していた[21]
  7. ^ 足木は当時、年に複数回渡米してメジャーおよび3A・2Aで日本向きの外国人選手を調査していた[20]が、当時は開幕直後だったため、リストアップしていた選手のほとんどは進路が決まっていた[22]
  8. ^ 1992年開幕当初、中日の背番号30は高卒新人の若林隆信ドラフト3位)が着用していたが、若林隆はパウエルの入団を受けて背番号を00に変更した[22]
  9. ^ パウエルは高木の訃報(2020年1月)を受け、生前の高木について「1年目は打てなかった自分を2年目も使ってくれた」と述べ、謝意を表明している[28]
  10. ^ ライアルの代理人はライアルを他球団に放出するよう要請したが、中日とほか複数球団の移籍交渉はいずれも成立しなかった[29]
  11. ^ 通称「親子ゲーム[31]
  12. ^ パウエルはそれ以前にも同じ箇所を故障したことがあり、横江清司チームドクターから「シーズンが始まったばかりなので、手術を含めて治療に専念するほうがいい」と勧められたが、本人は「歩くのにも支障はない。試合に出たい」と主張したため、20日からの巨人戦(東京ドーム)には同行した[36]。しかし、同日の試合には出場できたものの、痛みが収まらないため帰名し、出場選手登録も抹消された[37]
  13. ^ 結局、同年の中日はヤクルトとの首位争いに敗れてリーグ優勝を逃したが、パウエル自身はこの打席を「中日での最も思い出の残る出来事」として挙げている[17]
  14. ^ 1997年の年俸も1億5,000万円[51]
  15. ^ 同年の130試合中、無安打に終わった試合は27試合だった[51]
  16. ^ 低迷の理由について「広いナゴヤドームを意識しすぎたためだろう」と述べている文献もある[5]
  17. ^ 同日付で出場選手登録も抹消されたが、同シーズン中は支配下選手登録を継続し、シーズン終了後に自由契約となった[12]
  18. ^ その後、レオ・ゴメス1997年 - 2002年)もこの記録(在籍期間6年)に並んでいる[59]
  19. ^ この試合で中日は5位・巨人との直接対決に敗れ、4月13日以来の最下位に転落[60]。そのままリーグ最下位でシーズンを終えた。
  20. ^ 1996年(ナゴヤ球場最終年)は本拠地・ナゴヤ球場で92本のチーム本塁打を記録し、チーム打率も.292を記録したが、ナゴヤドーム1年目(1997年)は本拠地でのチーム本塁打数は35本に激減し、同球場でのチーム打率も.229と低迷した[62]。前年に39本塁打(打率.322・107打点)を打ち本塁打王を獲得した山崎は19本塁打(打率.257・54打点)[63]、38本塁打(打率.294・89打点)を打った大豊も12本塁打(打率.240・35打点)と、それぞれ成績を急落させた[64]
  21. ^ 星野はパウエルを解雇した当時、「パウエル、大豊、山崎の3人は1人だけで良い」(=打つだけの選手は一塁のみ)と話しており[57]、実際に山崎以外の2人は同年限りで中日を放出された。
  22. ^ 1998年シーズンの年俸は「1億8,000万円」とする文献[69]、「1億円」とする文献がある[70]
  23. ^ その後、1999年にはマイク・ブロワーズが、2000年にはハワード・バトルがそれぞれシーズン途中で解雇されている。
  24. ^ 同月8日時点で、マリナーズはチーム打率がアメリカンリーグで最下位となる.225に低迷していた[79]
  25. ^ 1996年は対左投手の打率が.316、対右投手の打率は.345[94]
  26. ^ 1997年の開幕後、シーズン途中で中日に加入した投手は小野和義のみ[99]。なお、小野(西武ライオンズから移籍)は8試合の登板に終わり、同年限りで現役を引退している[100]

出典

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