中村武志
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中村 武志(なかむら たけし、1967年3月17日 - )は、京都府京都市右京区出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者・評論家。現役時代は主に中日ドラゴンズ(在籍期間:1985年 - 2001年)でプレーし、1980年代末期から2000年代初期に正捕手として活躍、1988年・1999年にはそれぞれ中日のセントラル・リーグ優勝に貢献した。
注釈
- ^ 中日時代に当時の星野監督が「たけし」と呼んでいたことから馴染みのある解説者や応援などで使用されることが多い。
- ^ 1988年8月24日付の『官報』より[2]。同紙に記載されている中村の住所(名古屋市西区堀越2丁目6番18号)[2]は、かつて中日球団の合宿所「昇竜館」が所在していた場所である[3]。同所の合宿所は1988年3月に完成し[4]、同年から使用されていたが[5]、2003年オフに中日の二軍本拠地となっていたナゴヤ球場(名古屋市中区露橋)の敷地内へ移転した[6]。
- ^ 中日・大洋・巨人の3球団が競合し、大洋が交渉権を獲得した[9]。
- ^ 中日の監督に就任したばかりの星野は「自由契約にするかどうかは、秋のキャンプを見てから判断させてくれ」と説得したことを晩年明かしている。
- ^ 星野は現役時に中尾ともバッテリーを組んでいたが、その経緯から中尾の選手としての寿命と不節制を熟知していた根拠もあった。ただし、中尾が外野手にコンバートしたのはケガが多すぎることが直接の理由ではなく、コーチとの確執がきっかけで「こんな状況では捕手をやれない」と中尾自身が星野に直談判したことからであった。
- ^ 後に中村を慕う武山真吾が自ら希望して引き継ぎ、武山はその後、西武を経て中日に移籍し2018年からは自身がかつて着けていた39番を着用。
出典
- ^ 大島裕史「韓国野球の礎になった在日球児たち…「海峡を越えた野球少年」公開に寄せて」『民団新聞』在日本大韓民国民団、2016年8月15日。2023年2月12日閲覧。オリジナルの2021年9月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c 『官報』本紙 第18452号 昭和63年8月24日 1-2頁「法務省告示第六六九号 左記の者の申請に係る日本国に帰化の件は、これを許可する。昭和六十三年八月二十四日 法務大臣 林田悠紀夫(以下略、続)住所 名古屋市西区堀越2丁目6番18号 姜武志(中村武志)昭和42年3月17日生」
- ^ 『東京新聞』1999年3月3日朝刊特集1面18頁「99年プロ野球選手名鑑 セ6球団の新陣容 中日ドラゴンズ 横浜ベイスターズ 読売ジャイアンツ」(中日新聞東京本社)
- ^ 「'88プロ野球ウォッチング完璧ガイド 球場ガイド 練習場ガイド 合宿所ガイド > 中日ドラゴンズ」『週刊ベースボール』第43巻第15号、ベースボール・マガジン社、1988年4月11日、79頁、doi:10.11501/7909511、NDLJP:7909511/1/40。 - 通巻:第1694号(1988年4月11日号)。
- ^ 「唯一許される「コンビニが気晴らし」外出禁止1カ月 中日入寮生のいま「うずうずしている」」『中日スポーツ』中日新聞社、2020年4月19日。2022年9月18日閲覧。オリジナルの2022年9月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『中日新聞』2003年12月8日夕刊特集3面3頁「ドラゴンズ屋内練習場と合宿所 新生 職住接近 野球人図」(中日新聞社 写真と文・星野大輔)
- ^ a b c d e f g h “中村武志 星野監督の下で戦力外の候補から司令塔へと飛躍/プロ野球1980年代の名選手”. 週刊ベースボールONLINE (2019年6月17日). 2022年4月14日閲覧。
- ^ “韓国の高校野球事情 【韓国野球が熱い理由】 (1/3)”. ベースボールドットコム (2013年7月27日). 2022年4月14日閲覧。
- ^ 「【11月19日】1984年(昭59) 竹田光訓は巨人?、広沢克己は西武?…希望通りにならなかった」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2008年11月17日。オリジナルの2021年2月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “1試合で同点満塁ホームランとサヨナラ弾を打った選手”. 週刊ベースボールONLINE (2021年2月25日). 2022年1月22日閲覧。
- ^ 「先制2ラン ダメ押し満塁弾 中村 援護の連発」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)4月7日付朝刊、27面(スポーツ面)。
- ^ 「中村、逆転満塁アーチ 中日首位死守」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)6月13日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 「中日首位死守 中村サヨナラ打 ヒーローになって来い 監督が一言、ベテラン燃えた」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)5月26日付朝刊、22面(スポーツ面)。
- ^ 「竜 逆転サヨナラ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)8月30日付朝刊、19面(スポーツ面)。
- ^ “中村捕手が横浜へ移籍/谷繁の中日入団で”. 四国新聞社 (2001年12月28日). 2020年7月23日閲覧。
- ^ “【12月28日】2001年(平13) 年内に自由の身にしてくれ!中村武志、怒りの退団(野球) ― 日めくりプロ野球09年12月”. スポニチ Sponichi Annex 野球 (2009年12月28日). 2009年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月19日閲覧。
- ^ “山田久志が語る谷繁元信獲得秘話。「名古屋って、難しいところだよ」|プロ野球”. 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva. 集英社. 2023年4月19日閲覧。
- ^ 【立浪和義の一言で決めた】さらば中日、これが中村武志さんのドラゴンズ愛の真骨頂です。20年前の手紙と共に最終話!激熱次回予告も!!! - YouTube
- ^ 横浜36歳中村 自身初の1試合3本 - ウェイバックマシン(2003年10月6日アーカイブ分)
- ^ 「横浜・中村がベンツ盗まれる」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2004年3月4日。オリジナルの2004年3月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 中村武志氏 一軍バッテリーコーチ就任のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月31日
- ^ “コーチとの来季契約について”. 千葉ロッテマリーンズ (2014年10月5日). 2023年4月19日閲覧。
- ^ “ロッテ 中村1軍バッテリーコーチ退団へ 伊東監督は来季続投”. スポニチ Sponichi Annex (2014年10月2日). 2023年4月19日閲覧。
- ^ “中日復帰の中村武志コーチ 韓国での苦難と栄光 恩師星野さんの墓前でV報告を”. スポニチ Sponichi Annex (2018年11月24日). 2023年4月19日閲覧。
- ^ 週刊ベースボール2021年度プロ野球保存版カラー12球団選手写真名鑑号 2021年2月23日増刊、107頁
- ^ “中日 中村武志コーチが復帰”. スポニチ (2021年3月18日). 2021年11月3日閲覧。
- ^ “最終話 中村武志はやっぱり同期で一番凄かった”. YouTube デーブ大久保チャンネル (2021年11月3日). 2021年11月3日閲覧。
- ^ “【中日】パウエル打撃コーチ、中村武志バッテリーコーチらの退団発表:中日スポーツ・東京中日スポーツ”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (2021年10月29日). 2023年4月19日閲覧。
- ^ “今の捕手は甘い!もっと内角攻めを…伊東勤氏&中村武志氏のレジェンドコンビが辛口キャッチャー論披露”. スポニチ (2021年1月14日). 2022年1月14日閲覧。
- ^ “本紙評論家・中村武志氏が来季、韓国・起亜タイガースコーチ就任”. Yahoo!ニュース (2023年12月20日). 2023年12月21日閲覧。
- ^ ベースボール・マガジン社『133キロ怪速球』(山本昌、2009年) ISBN 978-4583101699 p40-41
- ^ “第一話 【近鉄・中根仁登場】一番ぶっ飛んでる同級生は中村武志です”. YouTube デーブ大久保チャンネル (2021年12月10日). 2021年12月21日閲覧。
- ^ “「怒られたけど、使ってくれた」 山本、中村、立浪、今中「4兄弟」が星野氏悼む”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2018年1月7日) 2022年11月17日閲覧。
中村武志
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「ルーキー野球団・東北楽天ゴールデンイーグルス物語」の記事における「中村武志」の解説
ベテラン捕手。火の車状態の楽天投手陣をリードする。背番号39。
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