トニー・タラスコとは? わかりやすく解説

トニー・タラスコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/08 21:39 UTC 版)

トニー・タラスコ
Tony Tarasco
ワシントン・ナショナルズでのコーチ時代(2015年3月)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク市
生年月日 (1970-12-09) 1970年12月9日(54歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1988年 MLBドラフト15巡目
初出場 MLB / 1993年4月30日
NPB / 2000年3月31日
最終出場 NPB / 2000年10月6日
MLB / 2002年9月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ワシントン・ナショナルズ (2013 - 2015)
  • ニューヨーク・メッツ (2021)

アントニー・ジャチントー・タラスコAnthony Giacinto "Tony" Tarasco, 1970年12月9日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の元プロ野球選手外野手)、野球指導者。右投左打。

フィラデルフィア・フィリーズなどでプレーした遊撃手であるジミー・ロリンズは従弟にあたる。

経歴・人物

1988年MLBドラフト15巡目(全体372位)でアトランタ・ブレーブスから指名され、プロ入り。1993年4月30日にメジャーデビュー。1995年モントリオール・エクスポズ1996年ボルチモア・オリオールズへ移籍した。

オリオールズ時代の1996年に大きなアクシデントを経験する。ニューヨーク・ヤンキースとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズの第1戦8回裏、オリオールズの1点リードという場面で、守備固めとして外野を守っていたタラスコはデレク・ジーターの放った右翼への大飛球をフェンス際で捕球しようとしたが、外野席最前列から身を乗り出した観客の少年(ジェフリー・マイヤー英語版)にボールを横取りされてしまった。観衆による守備妨害で打者アウトとすべきであったが、本塁打と判定された。タラスコはこれに猛抗議するも覆らず、オリオールズはこの試合に敗れた。

その後、1998年シンシナティ・レッズ1999年にヤンキースと渡り歩き、2000年ハワード・バトルと共に阪神タイガースに入団した。斧で木を伐採するというトレーニング方法がランディ・バースと同じということで、バースの再来と呼ばれ大きく期待されていた[1]。ポジションは主に右翼手であり、陽気な性格と強肩が魅力であった。キャンプ・オープン戦では、逆方向に流し打つシュアなバッティングと俊足、好守を見せ打率3割は確実といわれていたが、シーズンが始まると打って変わって強引に引っ張るプルヒッターと化し打率は低迷。後半戦開幕戦にサヨナラ安打を放ち復調の兆しを見せるが、結局打率.239、19本塁打、57打点と期待外れの成績に終わり、シーズン終了後に解雇となった。守備は良く、広い甲子園の守りを強固にしていたが、打撃の低迷ぶりが響き残留へのプラス材料にはならなかった。

中堅手新庄剛志とは仲が良く、新庄の赤のリストバンドをつけるなどしている姿が見られた。アメリカに戻った2001年にはスプリングトレーニングニューヨーク・メッツに移籍した新庄と再会している。

2002年ニューヨーク・メッツでメジャーに復帰したが、大麻所持が発覚して解雇され[2]、そのまま引退した。

引退後はワシントン・ナショナルズのマイナー組織で守備走塁コーチを務め、その間にブライス・ハーパーを指導した[3]2013年からはナショナルズの一塁ベースコーチ及び外野守備コーチに就任することとなり[4]2015年まで務めた。

2016年から2018年まではサンディエゴ・パドレス傘下マイナー球団の外野守備走塁巡回コーチ、2019年はパドレス傘下のA+級レイクエルシノア・ストーム英語版の監督を務めた。

2021年よりメッツの一塁ベースコーチ及び外野守備走塁コーチに就任したが[5]、同年限りで解任された。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1993 ATL 24 37 35 6 8 2 0 0 10 2 0 1 0 1 0 0 1 5 1 .229 .243 .286 .529
1994 87 144 132 16 36 6 0 5 57 19 5 0 0 3 9 1 0 17 5 .273 .313 .432 .744
1995 MON 126 495 438 64 109 18 4 14 177 40 24 3 3 1 51 12 2 78 2 .249 .329 .404 .733
1996 BAL 31 92 84 14 20 3 0 1 26 9 5 3 1 0 7 0 0 15 1 .238 .297 .310 .606
1997 100 193 166 26 34 8 1 7 65 26 2 2 1 0 25 1 1 33 3 .205 .313 .392 .704
1998 CIN 15 28 24 5 5 2 0 1 10 4 0 0 1 0 3 0 0 5 0 .208 .296 .417 .713
1999 NYY 14 35 31 5 5 2 0 0 7 3 1 0 0 1 3 0 0 5 1 .161 .229 .226 .454
2000 阪神 102 422 380 40 91 13 1 19 163 57 1 7 0 4 38 0 0 88 7 .239 .306 .429 .735
2002 NYM 60 105 96 15 24 5 0 6 47 15 2 1 0 1 8 0 0 13 2 .250 .305 .490 .794
MLB:8年 457 1129 1006 151 241 46 5 34 399 118 39 10 6 7 106 14 4 171 15 .240 .313 .397 .709
NPB:1年 102 422 380 40 91 13 1 19 163 57 1 7 0 4 38 0 0 88 7 .239 .306 .429 .735

記録

NPB[6]

背番号

  • 26(1993年 - 1994年)
  • 44(1995年)
  • 1(1996年)
  • 3(1997年 - 同年途中)
  • 43(1997年途中 - 同年終了)
  • 45(1998年)
  • 22(1999年)
  • 42(2000年)
  • 40(2002年)
  • 32(2013年 - 2015年)
  • 51(2021年 - )

脚注

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ダン・ウィルソン  ラリー・ハーロー  トニー・タラスコ  ザック・ウィート  ジョージ・アリアス
阪神タイガース及びその前身球団の選手 辰市祐英  ダーウィン・クビアン  トニー・タラスコ  ジョージ・アリアス  久保康友
ニューヨーク・ヤンキースの選手 フィル・リズート  ジェイ・ハウエル  トニー・タラスコ  ロッキー・コラビト  ポール・クアントリル
ニューヨーク・メッツの選手 ショーン・グリーン  具臺晟  トニー・タラスコ  オリバー・ペレス  モイゼス・アルー
シンシナティ・レッズの選手 ジェイ・ハウエル  ダン・ウィルソン  トニー・タラスコ  ロイド・ウェイナー  D.T.クローマー
ボルチモア・オリオールズの選手 ラリー・ハーロー  ダーウィン・クビアン  トニー・タラスコ  ジョー・コナー  ジョー・ボロウスキー
アトランタ・ブレーブスの選手 マーク・デービス  ジェイ・ハウエル  トニー・タラスコ  ジョー・コナー  ジョー・ボロウスキー
ワシントン・ナショナルズ及びモントリオール・エクスポズの選手 マット・ホワイト  ダーウィン・クビアン  トニー・タラスコ  チャド・コルデロ  イバン・ロドリゲス

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