エステバン・ジャンとは? わかりやすく解説

エステバン・ジャン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 15:03 UTC 版)

エステバン・ジャン
Esteban Yan
オリオールズ時代、マイナー春季キャンプにて
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 エル・セイボ州カンピナ
生年月日 (1975-06-22) 1975年6月22日(50歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
255 lb =約115.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 アマチュア・フリーエージェントとしてアトランタ・ブレーブスと契約
初出場 MLB / 1996年5月20日
NPB / 2007年4月3日
KBO / 2008年
最終出場 MLB / 2006年7月6日
NPB / 2007年8月21日
KBO / 2008年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

エステバン・ルイス・ジャンEsteban Luis Yan, 1975年6月22日 - )は、ドミニカ共和国エル・セイボ州カンピナ出身の元プロ野球選手投手)。

メジャー所属時代は英語読みの「ヤンYAHN)と発音され[1]、当時は日本メディアでも「ヤン」と表記されていた。NPBでの登録名はスペイン語の発音から「ジャン」とされたが、スペイン語圏でも発音が異なり、中南米とメキシコでは「ヤン」、南アメリカでは「ジャン」である。この選手は、中南米のドミニカ共和国出身であるため、「ヤン」とするのが正しい[2]

NPB時代にシーズン最多ボークの記録(12回)を持っている。

経歴

プロ入り前

高校時代に、ドミニカのカープアカデミー外野手として野球を始めた。

MLB時代

1990年アトランタ・ブレーブスと契約。ボルチモア・オリオールズに移籍後の1996年にメジャーデビュー。

1998年タンパベイ・デビルレイズに移籍し、2000年は20試合に先発してチームで2位の7勝を挙げた。同年6月4日の対ニューヨーク・メッツ戦でボビー・ジョーンズからメジャー初打席初本塁打を記録。

2001年からは抑えに転向して22セーブ、翌2002年も19セーブを挙げた。2001年・2002年は、後に阪神で再会することになるアンディ・シーツとチームメイトだった。

その後、テキサス・レンジャーズセントルイス・カージナルスデトロイト・タイガースロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムシンシナティ・レッズの各球団を渡り歩いた。

阪神時代

2007年阪神タイガースに入団。契約金も含めると約3億円の大型契約で、阪神の新外国人投手としては最高額であった。2006年までのメジャーにおける通算打撃成績が「2打数2安打、1本塁打、1打点、1犠打」であったことから、入団時はライアン・ボーグルソンとともに打撃面でも注目を集めた。オープン戦でセーフティーバントをして一塁に全力疾走するという場面もあった。

キャンプでは直球と変化球での投球フォームの癖を見抜かれ改善を余儀なくされたが、4月3日の対東京ヤクルトスワローズ戦に先発し、来日初登板初勝利をマークした。4月24日の対ヤクルト戦で、アレックス・ラミレスの打球が顔面に直撃し出血。右あご裂傷で9針縫う大怪我を負ったが、骨には異常がなく長期離脱は免れた。

一方、投球直前のセット時にグラブを止められない癖があり、ボークが非常に多かった。5月8日の対読売ジャイアンツ戦では、球団史上初となる1イニング2度のボークを記録。8月21日の対ヤクルト戦では、日本新記録となるシーズン12ボーク目を記録。この判定の直後に、武内晋一に対して内角をえぐる投球を繰り返し、3球目が武内の頭部を直撃、危険球とみなされて退場処分となった。8月3日にも広島東洋カープ梵英心に対し、同様にボーク直後に死球を与えている前例があり、ヤクルトの古田敦也監督は「アンパイアに対してやっているんだろう」と指摘した。これがきっかけで翌22日に登録抹消となり、結局その後は二度と一軍に呼ばれることなくシーズンを終えた。11月12日に退団が発表され、11月19日付で自由契約公示された。

阪神退団後

2008年ボルチモア・オリオールズと契約したが、傘下のAAAノーフォーク・タイズでの登板だけで、メジャー復帰はならなかった。その後7月20日に、不振により解雇されたケニー・レイの代役として韓国プロ野球SKワイバーンズと契約。リリーフとして起用されていたものの、不安定な面が隠せず韓国シリーズアジアシリーズの登録メンバーからは外れた。チームが元福岡ソフトバンクホークスクリストファー・ニコースキーと契約したこともあり、同年限りでSKを退団。

2009年独立リーグアトランティックリーグに加盟するブリッジポート・ブルーフィッシュメキシカンリーグモンテレイ・サルタンズでプレーした[3]

2010年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズで開幕を迎え、その後再びブリッジポートに移って8月17日に登録された[4]

2011年は、再びメキシカンリーグのラグナ・カウボーイズでプレーした後、再びブリッジポートに移って7月5日に登録された[5]

2012年はメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズに所属し、この年限りで現役を引退した。

選手としての特徴・人物

193 cmの長身から最速158 km/hの速球を投げる速球派投手で、ツーシームスライダーカットボール、スライド気味・シュート気味など4種類のフォークボールを操る。

メジャー時代は合計3打席に立ち、本塁打と犠打、バント安打を記録し、通算打率は10割となっている[6]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1996 BAL 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 42 9.1 13 3 3 1 0 7 0 0 7 6 5.79 1.71
1997 3 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 58 9.2 20 3 7 0 2 4 1 0 18 17 15.83 2.79
1998 TB 64 0 0 0 0 5 4 1 8 .556 381 88.2 78 11 41 2 5 77 6 0 41 38 3.86 1.34
1999 50 1 0 0 0 3 4 0 7 .429 286 61.0 77 8 32 4 9 46 2 0 41 40 5.90 1.79
2000 43 20 0 0 0 7 8 0 3 .467 618 137.2 158 26 42 0 11 111 7 1 98 95 6.21 1.45
2001 54 0 0 0 0 4 6 22 0 .400 264 62.1 64 7 11 1 5 64 5 0 34 27 3.90 1.20
2002 55 0 0 0 0 7 8 19 0 .467 305 69.0 70 10 29 1 3 53 5 1 35 33 4.30 1.43
2003 TEX 15 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 110 23.1 31 5 7 1 2 25 5 0 19 18 6.94 1.63
STL 39 0 0 0 0 2 0 1 3 1.000 199 43.1 53 8 16 4 5 28 4 0 29 29 6.02 1.59
'03計 54 0 0 0 0 2 1 1 4 .667 309 66.2 84 13 23 5 7 53 9 0 48 47 6.34 1.61
2004 DET 69 0 0 0 0 3 6 7 11 .333 379 87.0 92 8 32 5 4 69 7 0 43 37 3.83 1.43
2005 LAA 49 0 0 0 0 1 1 0 1 .500 293 66.2 66 8 30 4 0 45 5 0 36 34 4.59 1.44
2006 13 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 98 22.1 19 4 13 2 1 16 4 0 18 17 6.85 1.43
CIN 14 0 0 0 0 1 0 1 0 1.000 63 15.0 13 4 7 2 0 8 1 0 7 6 3.60 1.33
'06計 27 0 0 0 0 1 0 1 0 1.000 161 37.1 32 8 20 4 1 24 5 0 25 23 5.54 1.39
2007 阪神 21 21 0 0 0 6 5 0 0 .545 453 104.1 110 9 31 3 8 52 4 12 56 54 4.66 1.35
2008 SK 17 1 0 0 0 1 2 6 0 .333 118 29.1 24 1 8 0 0 17 2 1 7 7 2.15 1.09
MLB:11年 472 23 0 0 0 33 39 51 34 .458 3096 695.1 754 105 270 27 47 553 52 2 426 397 5.14 1.47
NPB:1年 21 21 0 0 0 6 5 0 0 .545 453 104.1 110 9 31 3 8 52 4 12 56 54 4.66 1.35
KBO:1年 17 1 0 0 0 1 2 6 0 .333 118 29.1 24 1 8 0 0 17 2 1 7 7 2.15 1.09
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤文字はNPBにおける歴代最高。

記録

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号

  • 43 (1996年)
  • 56 (1997年)
  • 43 (1998年 - 2003年)
  • 59 (2004年 - 2006年)
  • 52 (2006年)
  • 92 (2007年)
  • 53 (2008年)

登場曲

脚注

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

阪神タイガース及びその前身球団の選手 三宅秀史  武智修  エステバン・ジャン  山田真介  遠井吾郎
シンシナティ・レッズの選手 リッチ・ゲイル  ロベルト・ペタジーニ  エステバン・ジャン  ドン・ブレイザー  金善宇
ボルチモア・オリオールズの選手 ロン・キトル  デニス・サファテ  エステバン・ジャン  ルーク・スコット  ジム・ジョンソン
セントルイス・カージナルスの選手 ウッディ・ウィリアムズ  マティ・アルー  エステバン・ジャン  ドン・ブレイザー  ウィルバート・ロビンソン
テキサス・レンジャーズ及びその前身球団の選手 ロジャー・マクダウェル  ケビン・ブラウン  エステバン・ジャン  ドン・ブレイザー  マイケル・テヘラ
デトロイト・タイガースの選手 カーティス・グランダーソン  ジョージ・ウール  エステバン・ジャン  ルイス・サントス  ウォーリー・ピップ
ロサンゼルス・エンゼルス及びその前身球団の選手 ロジャー・レポーズ  スコット・シールズ  エステバン・ジャン  ホセ・モリーナ  フランシスコ・ロドリゲス
ドミニカ共和国の野球選手 ベン・リベラ  マティ・アルー  エステバン・ジャン  ルイス・サントス  ダニエル・カブレラ
タンパベイ・レイズ及びタンパベイ・デビルレイズの選手 ブレント・アバーナシー  ビクター・ザンブラーノ  エステバン・ジャン  クリフ・フロイド  ハビアー・バレンティン
SKワイバーンズの選手 金熙杰  趙東和  エステバン・ジャン  鄭大ヒョン  金圓衡

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