連続試合安打記録
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阪急時代の1946年8月29日から10月26日にかけて、野口は出場した31試合連続安打の記録を達成したが、これは当時の日本プロ野球記録だった。翌10月27日の対巨人戦において、巨人の先発藤本英雄に75球の当時の日本最少投球記録でチームは完封負けしており、野口も藤本に3打席無安打に抑えられ、連続試合安打記録は途切れている。 達成当時は日本記録として知られることはなく、翌1947年に金星スターズの坪内道則が25試合連続安打を記録した際にはこれが日本記録とされている。これは野口が野手ではなく、投手だったために試合出場が飛び飛びであった事が理由で見落とされたと考えられ、1949年に日本プロ野球の記録に関する再調査が行われた際に、野口が記録していた事が判明している。 連続試合安打記録中の野口の記録は、31試合で131打数48安打で、二塁打3本、三塁打3本 本塁打0本、15打点、打率.368。この間、投手として13試合に登板、5勝5敗の成績で、うち7試合に先発し3試合に完投、12奪三振、自責点12で防御率は2.60だった。 野口は坪内の26試合連続安打記録のかかった1947年9月6日対金星戦に登板して、坪内を4打数0安打で抑えて連続試合安打記録を止めており、結果として自分が記録していた事も知らずに、自らの投球で自らの記録を守った事になった。 1971年7月6日、阪急の長池徳二が野口の記録を更新したが、この時野口は阪急のコーチをつとめており、記録達成の場に居合わす事になった。
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