その後の朝鮮半島の切手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/10 02:51 UTC 版)
「日韓通信業務合同」の記事における「その後の朝鮮半島の切手」の解説
従来の韓国切手は6月30日を持って売り捌きは中止され、残された切手も1909年8月31日を持って使用禁止になった。そのため1910年の韓国併合を前に、従来は在朝鮮日本郵便局に限られていた日本切手が朝鮮全土で使われるようになった。このように1905年7月から1910年までは日本の保護国であるとはいえ、そのまま相手国の切手が全体で使われたのは、他国で行われた保護国政策と比較すると異例なことであった。 日本接収以後の朝鮮半島では韓国独自の年号として「隆熙」が用いられていたが、郵便物の消印の年号は明治元号(ただし欧文による国際郵便の消印は日本と同様西暦)が使われていた。なお朝鮮半島では1946年に南北朝鮮で切手が発行されるまで日本切手の使用が続いた。
※この「その後の朝鮮半島の切手」の解説は、「日韓通信業務合同」の解説の一部です。
「その後の朝鮮半島の切手」を含む「日韓通信業務合同」の記事については、「日韓通信業務合同」の概要を参照ください。
- その後の朝鮮半島の切手のページへのリンク