その後の本庄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 04:35 UTC 版)
天正18年(1590年)に徳川家康が関東を支配することとなった。9月、家康の家臣である信濃国松尾の小笠原信嶺が本庄の新城主として1万石を配領した。範囲は、八丁河原、新井、都島、小島、杉山、山王堂、沼和田、田中、仁手、本庄、五十子、東富田である。本庄城は小笠原氏によって改築され、本庄藩が立藩される事となった。しかし17世紀初期には廃藩となり、以降は江戸幕府の政策により、本庄は中山道の宿場町として重要視され、武家の城下町から商人の町に変化して発展した。
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