日本による郵便事業の接収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/10 02:51 UTC 版)
「日韓通信業務合同」の記事における「日本による郵便事業の接収」の解説
第一次日韓協約により韓国政府に派遣された財政顧問・目賀田種太郎は、韓国政府の財政を立て直すとして、韓国の造幣局であった典圜局を廃止させ、大阪にある造幣局に銭貨の製造を委託させるなどの施策を行っていたが、そのうちのひとつに韓国の通信事業を日本に委託させるようにせまった。 その理由として目賀田は通信事業が当時毎年10万円という赤字を出していることを挙げた。しかし、これは朝鮮半島は経済的に発展しておらず通信需要が乏しかったこともあるが、朝鮮半島全体に郵便網と通信網を広げるための設備投資が嵩んだためであり、やむをえない赤字であったとする見解もある。しかし日本の報道機関はこういった事情には触れず、日本による通信事業の接収を支持する論調であり、たとえば読売新聞の明治38年3月23日の紙面で、韓国の通信機関が不備であることを理由に、日本に委託すべきと主張していた。 韓国国内には一部反対の声もあったが、日本は「韓国の通信機関を整備し日本国の通信機関と合同連絡して両国共通の一組織にすれば、韓国の行政上経済上得策である」と提案し、そのため日韓両国政府の間で、4月1日に「韓国通信機関委託ニ関スル取極書」が調印された。4月28日に日本の官報に掲載された内容は以下である 第一条 韓国政府ハ其国内ニ於ケル郵便電信及電話事業ノ管理ヲ日本政府ニ委託スヘシ この取極書によれば韓国政府が管轄していた郵便事業および電信電話事業を日本政府に委託するとしていた。形式的には委託であるが事実上接収であり、朝鮮半島における情報伝達網を全て日本の管理下におくものであった。5月18日から日本側によって通信機関の接収がはじまり、7月1日に完了した。一連の接収作業において担当した引継委員長による「韓国事務引継顛末概要」によれば、韓国通信院の通信事業に従事していた職員(官吏および現場労働者)の1044人のうち773人が日本の郵政当局に引継採用されたが、残りの271人は辞令拒否者もしくは接収を反対して抵抗したとして解雇されているという。これは朝鮮人労働者が激しく抵抗したためであったが、欠員は以前通信事業に従事していて悪事を働いた為に免職になったものや、病気で退職したものを半ば強制的に集めて当初はしのいだという。 このようにして、日本の手による通信事業が始まった。しかし一部の朝鮮人からすれば外国政府による経営事業体になったため、抗日武装勢力の攻撃目標にもなった。韓国併合直前の1909年頃には、通信事業の職員や設備が暴徒に襲撃され死傷者を出す事件が多発したこともあったという。そのため逓信輸送が危険であるとして、軍隊の護衛と従事者が護身用の拳銃で自衛していたという。
※この「日本による郵便事業の接収」の解説は、「日韓通信業務合同」の解説の一部です。
「日本による郵便事業の接収」を含む「日韓通信業務合同」の記事については、「日韓通信業務合同」の概要を参照ください。
- 日本による郵便事業の接収のページへのリンク