漢城とは? わかりやすく解説

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漢城

読み方ソウル
【英】:Seoul

現在の大韓民国首都です。 「ソウル」とは韓国語で「みやこ」を意味する言葉で、朝鮮王朝時代には「漢城」などと表記されいました日本韓国併合後、「京城」(けいじょう)の表記採用されました。
地図

漢城Han cheng


漢城府

(漢城 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/19 08:42 UTC 版)

漢城府
1894年の漢城府
位置
各種表記
ハングル: 한성부
漢字: 漢城府
日本語読み仮名: かんじょうふ
片仮名転写: ハンソンブ
ローマ字転写 (MR): Hanseongbu
統計
行政
国:  朝鮮
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漢城府(かんじょうふ、ハンソンブ)は、李氏朝鮮の首都であり、統治していた機関の名前。以前の漢陽府、後の京城府、現在の韓国ソウル特別市

概要

1394年11月26日(旧暦10月)、李氏朝鮮の太祖李成桂により開京(開城)から漢陽へと遷都され、1395年(太祖4年)6月6日に漢陽府を改め漢城府とした。遷都時に宮殿や官庁が建てられた地域の住人は見州に移し、楊州郡とした。15世紀初めの人口は10万人程度。

太祖は漢陽の防衛のために北岳山と駱山・南山仁旺山を結ぶ約17kmの城壁を建てた。1395年には漢城の範囲を「宮城」の「城底」とし、それが李朝時代の500年間使用された。宮城内はすべてが国有地であり、宮殿、官庁、道路、下水道、市場などの場所が決められていた。また、城外の範囲として城底の城壁から四方10里を指すが、北は北漢山、南は漢江、露渡、東は楊州松溪院・大峴[1]・中浪浦、西は楊花渡・高陽徳水院[2]、沙川に沿って蘭芝島付近とされた。

2005年頃まで中国語圏におけるソウルの漢字表記として「漢城」が用いられていた。

歴史

外国人がみた「日帝」以前の漢城府の記録によると、衛生環境が悪かったといい、細井肇の『現代漢城の風雲と名士』には、漢城府の状況について「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花が場所も嫌わず狼藉と咲き乱れて居て、足の踏み場もなく潔癖者は一見其不潔と臭気に驚く」「至る処人糞或いは牛馬糞を見ざる無しで、紛々たる臭気は鼻を襲い眼を顰めぬ者とてはない」「毎年夏期になると伝染病が流行し、其の伝染病に罹る患者の多くは韓人」と記しており、統監府時代1908年京城控訴院判事として韓国政府に招聘された山口真昌は、赴任当時を「道路は狭隘で、而も糞尿は至る処道端に満ちて居るという有様でした。井戸水は混濁していて、風呂に入れば茶色の湯で、却って体が汚れる様な感を催し、飲料水は石油の空罐一ぱいで何銭で買って使用するという状態で、電灯は未だ一般に普及せず、我々の借家には其設備がなくランプを使っておりましたが、冬になると寒気が烈しいので、石油が凍ってだんだんと光が薄暗くなり、仕事ができないほどでありました」と回顧している[3]。これについて黄文雄は、「首都でさえこの状態だから、他の都市は推して知るべしだろう。李朝時代朝鮮人の生命を最も多く奪ったものは、『日帝』ではなく疫病だったのである」と述べている[4]

屋山太郎は、「漢城のフランス人宣教師ダレ氏が帰国して後の1874年に、『朝鮮事情』という本を著している。漢城はまさに糞尿まみれで足の踏み場もなく、肺結核ハンセン病、肺臓ジストマ、赤痢チフスなどの疫病が流行していた。併合の前年に、日本が入って京城医専やその付属病院を設立し、医師看護師、衛生師を養成した。併合後に取りかかったのが学校の建設で、1945年の終戦までに京城帝大のほか専門学校を約千校設置し、小学校を5200も開校した。その結果、識字率は4%から61%に上がる。100キロだった鉄道も6千キロに延伸された」と述べている[5]

行政区画

五部

都城には、東西南北中部の五部と、その下に・契・が置かれた。『大東地誌』による各部の坊名は以下の通り。

  • 東部 12坊:燕喜坊・崇教坊・泉達坊・彰善坊・建徳坊・徳成坊・瑞雲坊・蓮花坊・崇信坊・仁昌坊・観徳坊・興盛坊
  • 南部 14坊:広通坊・会賢坊・明礼坊・太平坊・薫陶坊・誠明坊・楽善坊・貞心坊・明哲坊・誠身坊・礼成坊・屯之坊・豆毛坊・漢江坊
  • 西部 10坊:仁達坊・積善坊・余慶坊・皇華坊・養生坊・盤石坊・神化坊・盤松坊・龍山坊・西江坊
  • 北部 10坊:広化坊・陽徳坊・嘉会坊・安国坊・観光坊・鎭長坊・順化坊・明通坊・俊秀坊・義通坊
  • 中部 8坊:貞善坊・慶幸坊・寬仁坊・寿進坊・澄清坊・長通坊・瑞麟坊・堅平坊

二十三府制による行政区画

ギャラリー

脚注

  1. ^ 現・牛耳川
  2. ^ 現・鷹岩洞
  3. ^ 友邦協会 『朝鮮における司法制度近代化の足跡』友邦協会〈友邦シリーズ〈第4号 資料〉〉、1966年1月1日。 
  4. ^ 黄文雄 『台湾 朝鮮 満州』扶桑社、2003年10月31日、145頁。ISBN 978-4594042158 
  5. ^ 屋山太郎 (2013年7月17日). “評論家・屋山太郎 韓国よ、「歴史の真実」に目覚めよ”. 産経新聞. オリジナルの2022年6月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220627202438/https://www.sankei.com/article/20130717-CUBROMOCW5JPXHDDMK2XNIPLMQ/3/ 


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