韓国併合後とは? わかりやすく解説

韓国併合後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 03:51 UTC 版)

京城医学専門学校」の記事における「韓国併合後」の解説

1910年明治43年9月30日 - 勅令368号により朝鮮総督府医院官制発布され、「朝鮮総督府医院附属医学講習所」に改称院長1名、医官9名、教官1名、薬剤官1名、事務官1名、医院10名、書記教員調剤手・助手通訳生24名をおくこととした。 医科修業年限:4年)、助産婦科(2年)、看護婦科(1年半)を設置薬学科廃止。旧・大韓医院附属医学校生徒全員薬学科を除く)を継承定員は各学年医科75名、助産婦20名、看護婦20名。 学問教授従来通訳を介して行われていたが、この時から国語日本語)で行われることとなる。 1911年明治44年2月 - 朝鮮総督府附属医学講習所規則および同講習所生徒学資給与規則発布され従来官費本位私費本位改定され学資支給制限設けられた。 4月 - 平壌大邱慈恵医院医学生給費生7名と道長官からの委託給費による生徒23名、計30名が転入1912年明治45年5月 - 医学講習所卒業生京城専修学校および官立高等普通学校卒業者同等上の資格有することが認められる。 (大正元年10月 - 各科入学資格修業年限官費給費生義務年限を以下の様に変更医科 - 入学資格高等普通学校卒業者とし、将来女子志願者収容できることとする官費給費生義務年限3年とする。 助産婦科 - 入学資格医学講習所看護婦科の卒業生とし、修業年限2年から1年短縮する官費給費生義務年限2年とする。 看護婦科 - 入学資格尋常小学校6年卒業生または普通学校6年卒業生とする。官費給費生義務年限2年とする。 官費給費生比率減じて定員3分の1以下とする。 1913年大正2年3月 - 助産婦科・看護婦第1回卒業式挙行。9名が卒業1914年大正3年3月 - 医科卒業者医師免許付与されるうになる7月 - 助産婦卒業者産婆免許付与されるうになる1916年大正5年4月 - 勅令80号「朝鮮総督府専門学校官制」の公布により、「京城医学専門学校」に改称所管朝鮮総督府学務局に移る。教授3名、助教授1名、書記1名が配属される校長医院長が兼任する京城医学専門学校朝鮮総督府医院から分立し助産婦科および看護婦科を朝鮮総督府医院医育課に移管し、医学専門学校設置学科医科のみとする。 医科生徒前身医学講習所から継承し当該学年編入の形をとる。 医科占め内地人生徒の比率定数の約3分の1定める。 教育綱領制定5月 - 在学徴集徴兵猶予の件が認可される6月 - 解剖学教室1棟と講堂1棟が完成1917年大正6年1月 - 文部省令により、卒業生文官任用認定される12月 - 医化学薬物教室1棟などが完成1918年大正7年7月 - 生徒定員300名から400名に増員8月 - 勅令313号により、特別医学科設置。特別医学科卒業生内地官立国立医学専門学校卒業生同等資格有することが認められる従来生徒の内鮮人問わず有資格者選考の上、特別医学科当該学年編入することとする11月 - 病理学教室1棟と孵卵器室(煉瓦造り)1棟が完成1919年大正8年2月 - 特別医学科卒業生京城医学専門学校医学士称することができるようになる11月25日 - 海軍軍医生1名が採用される1920年大正9年3月 - 特別医学科第1回卒業式挙行23名が卒業7月 - 生理学教室1棟と病理解剖室1棟が完成11月29日 - 陸軍衛生部委託生徒1名を採用1921年大正10年4月 - 女子聴講生3名の聴講許可女子受け入れ試行)。 11月 - 第1・第2講堂完成12月 - 組織学実習生講義室1棟が完成1922年大正11年2月 - 朝鮮教育令改正に伴い従来規程1916年大正5年制定)を廃止し朝鮮総督府京城医学専門学校規程制定入学資格中学校または新令高等普通学校卒業程度高め、それによる入学生を本科生とする。 上記入学資格有しない朝鮮人のために、当分特科制度設け、その入学資格旧制度による本科入学資格同程度とする。 6月 - 動物室(煉瓦造り)1棟が完成12月 - 校歌制定1923年大正12年5月 - 内務省より、本科卒業生特科を除く)は医師法第1条資格有する者であると通達される7月 - 朝鮮総督府道慈医院医員依託生の件が認可される1924年大正13年5月 - 文部省告示290号により、本科卒業生特科を除く)は高等学校または大学予科卒業生同等であると指定される1927年昭和2年6月27日 - 朝鮮総督府諸学官制改正され専任校長置かれることとなり、医学博士佐藤剛蔵校長事務取扱命じられる1928年昭和3年5月28日 - 勅令97号により、附属医院設置6月30日 - 陸軍現役将校配属される11月29日 - 京城府昭格町に煉瓦造り2階建ての附属医院建物一部完成し開院1929年昭和4年5月9日 - 看護婦養成科を設置12月25日 - 附属医院敷地内鉄筋コンクリート造3階建て病棟1棟が完成1930年昭和5年6月18日 - 特科廃止1931年昭和6年10月2日 - 朝鮮総督府道慈医院医員依託制度廃止1932年昭和7年5月10日 - 附属医院外来診察所(鉄筋コンクリート造3階建て)の一部完成1933年昭和8年1月26日 - 外国人入学許可5月23日 - 附属委員薬剤手を設置7月8日 - 薬物学薬理学改称11月3日 - 校旗代旗推戴式を挙行12月15日 - 外来診療所がすべて完成1934年昭和9年5月19日 - 大邱平壌医学専門学校卒業生30名の3ヶ月補習教育終了8月3日 - 附属委員看護長を置く。 1935年昭和10年7月5日 - 生徒監を生徒主事改称1937年昭和12年3月 - 朝鮮教育令改正により、翌4月京城医学専門学校規程改定1938年昭和13年11月12日 - 附属医院結核病棟内科講堂完成1940年昭和15年4月1日 - 京城医学専門学校規程改正し第1条本校教育の目的明示

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