韓国侵略説とは? わかりやすく解説

韓国侵略説(北朝鮮の主張)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:39 UTC 版)

朝鮮戦争」の記事における「韓国侵略説(北朝鮮主張)」の解説

北朝鮮では、当時から現在に至るまで韓国側先制攻撃した」と主張し続けているが、これは国際的に全く支持されていない戦争当時北朝鮮支援したソ連崩壊後ロシアでも、北朝鮮主張するような「韓国による侵略」という主張は全く認められていない日本国内朝鮮学校教科書現代朝鮮歴史高級1』には以下の記述がある。 米帝そそのかしのもと、李承晩1950年6月23日から38度線共和国地域集中的な射撃加え6月25日には全面戦争拡大した。 —  朝鮮学校教科書 & 現代朝鮮歴史 敬愛する金日成主席様におかれては、(25日の)会議朝鮮人をみくびり刃向かう米国奴ら朝鮮人根性見せてやらねばならないおっしゃりながら、共和国警備隊人民軍部隊に敵の武力侵攻阻止し即時反撃に移るよう命令お下になった。 —  朝鮮学校教科書 & 現代朝鮮歴史 当時日本でも1950年代から1960年代にかけて米国による陰謀説など、共産主義イデオロギーによる決め付け的な内容のものが多々あった。左派研究者遠山茂樹今井清一藤原彰共著昭和史』(岩波新書1959年)では、「米空軍戦闘機部隊北九州集結していた。そして北朝鮮侵略したという理由韓国軍38度線をこえ進撃した」と主張した親北派学者寺尾五郎北朝鮮による先制攻撃ではないと主張した。これについて井沢元彦は、北朝鮮正義で、悪いのは韓国でありアメリカ帝国主義であると考えるように、近現代史学者一部は、大切なのは「真理」ではなく「イデオロギー」であるだけであると批判している。家永三郎は、「朝鮮戦争」(アメリカ侵略による)と記した高山正之は、マスコミでもNHK磯村尚徳番組で「北が南に攻め込んだ」と語ったことに在日朝鮮人騒ぎ出し、彼らに同調する土井たか子抗議番組内謝罪する至った述べている。 重村智計によると、日本では長く韓国アメリカによる侵略説が支配的であり、それに反対すると、学界などの社会から抹殺されかねない雰囲気があり、共産主義・社会主義北朝鮮支持するあるいはシンパシーを持つ左派研究者は、韓国アメリカによる侵略アメリカ陰謀主張したに対してリアリズム系の研究者は、北朝鮮による侵略を譲らなかったという。朝鮮戦争に関する最初書籍は、{日本語版にない記事リンク|I.F. ストーン|en|I. F. Stone}}の『秘史朝鮮戦争』であり、戦争韓国アメリカ共謀可能性が高いと主張したD・W・W・コンデは、『朝鮮戦争歴史』において、朝鮮戦争韓国アメリカによる侵略であると主張して共産主義・社会主義北朝鮮支持するあるいはシンパシーを持つ左派研究者韓国アメリカによる侵略説のバイブルとなる。しかし、神谷不二朝鮮戦争は、北朝鮮による侵略であることを客観的に分析した。他に、信夫清三郎ストーンコンデ誤り指摘したその後児島襄神田文人 などの研究経て、現在、学術的に北朝鮮による侵略一般的な見解となっている。北朝鮮による計画的先制攻撃開戦したことは、米軍押収した朝鮮人民軍膨大なハングル文書分析した萩原遼論証している。 中村隆英 1950年6月25日の朝、北朝鮮軍38度線越えて韓国側侵入したことによって始まった当時アメリカ軍韓国から撤退しており、韓国軍の力は弱かったから、北朝鮮軍無人の野を行くように南朝鮮進撃し、たちまちソウル陥落した半藤一利になってはじめのころの戦局を見ると、北の朝鮮民主主義人民共和国十分に準備をして攻め入った考えざるを得ません。というのも当時大韓民国(南)に駐留していた米軍ほぼ日本本土に移っていましたから、その空白狙ってと言うと反論する人もいますが、とにかく北が38度線越えていきなり攻め入ってきたのです。戦闘準備不足の韓国側は、38度線ほど近いソウルあっという間に陥落してしまい、その後ガンガン攻められ後退後退続けました李栄薫 朝鮮戦争アメリカとの冷戦において勝機得ようとしたソ連承認し北朝鮮中国共同実行した国際紛争戦争でした。 重村智計 旧ソ連外交文書公開で、朝鮮戦争起源明らかにされた。それによると、朝鮮戦争は『内戦』や『誘因』の展開ではなく金日成首相ソ連指導者スターリン説得し開始した、『金日成』の戦争だったのであるまた、ヤルタ体制崩壊』が生んだ戦争でもあった。 伊藤之雄 この間6月25日北朝鮮軍38度線越えて韓国侵攻し朝鮮戦争となった。突然の侵攻韓国軍劣勢で、ソウル陥落し釜山周辺にまで追い詰められた。 木村光彦 同軍(北朝鮮軍)は1950年6月25日38度線をこえ韓国軍奇襲した。こうしてはじまった朝鮮戦争は、金日成スターリン毛沢東組んでおこなった国際共産主義運動一大攻勢にほかならなかった。 長谷川幸洋 北朝鮮50年6月韓国奇襲攻撃した。当初韓国軍劣勢だったが、マッカーサー指揮する国連軍参戦して戦況盛り返す韓国国連軍中国との国境である鴨緑江まで北朝鮮軍追い詰めたが、そこで中国人民解放軍義勇兵大量投入した宇山卓栄 1950年6月25日午前4時に、約10万北朝鮮軍何の前置きもなく、突如北緯38度線越えて侵攻しきました。この日は日曜日で、多く韓国側軍人登庁しておらず、また、農繁期のため、帰郷していた軍人多く警戒態勢とっていませんでした大統領李承晩はじめとする政府首脳部も北朝鮮軍侵攻想定してませんでした。(中略)しかし、アメリカ軍戦争の準備は全く整っておらず、その動き緩慢で、トルーマン大統領報告受けたのは、北朝鮮侵攻開始から10時間後というありさまでした。(中略北朝鮮軍侵攻作戦綿密に計画していました。そして高度に統制され軍隊抜け目なく正確に作戦展開し破竹の勢いソウル向けて進撃しいました

※この「韓国侵略説(北朝鮮の主張)」の解説は、「朝鮮戦争」の解説の一部です。
「韓国侵略説(北朝鮮の主張)」を含む「朝鮮戦争」の記事については、「朝鮮戦争」の概要を参照ください。

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