韓国侵略説(北朝鮮の主張)
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「朝鮮戦争」の記事における「韓国侵略説(北朝鮮の主張)」の解説
北朝鮮では、当時から現在に至るまで「韓国側が先制攻撃した」と主張し続けているが、これは国際的に全く支持されていない。戦争当時、北朝鮮を支援したソ連崩壊後のロシアでも、北朝鮮の主張するような「韓国による侵略」という主張は全く認められていない。 日本国内の朝鮮学校教科書『現代朝鮮歴史高級1』には以下の記述がある。 米帝のそそのかしのもと、李承晩は1950年6月23日から38度線の共和国地域に集中的な砲射撃を加え、6月25日には全面戦争に拡大した。 — 朝鮮学校教科書 & 現代朝鮮歴史 敬愛する金日成主席様におかれては、(25日の)会議で朝鮮人をみくびり刃向かう米国の奴らに朝鮮人の根性を見せてやらねばならないとおっしゃりながら、共和国警備隊と人民軍部隊に敵の武力侵攻を阻止し即時反撃に移るよう命令をお下しになった。 — 朝鮮学校教科書 & 現代朝鮮歴史 当時日本でも、1950年代から1960年代にかけて米国による陰謀説など、共産主義イデオロギーによる決め付け的な内容のものが多々あった。左派系研究者遠山茂樹・今井清一・藤原彰共著『昭和史』(岩波新書、1959年)では、「米空軍戦闘機部隊は北九州に集結していた。そして北朝鮮が侵略したという理由で韓国軍が38度線をこえ進撃した」と主張した。親北派の学者寺尾五郎も北朝鮮による先制攻撃ではないと主張した。これについて井沢元彦は、北朝鮮は正義で、悪いのは韓国でありアメリカ帝国主義であると考えるように、近現代史学者の一部は、大切なのは「真理」ではなく「イデオロギー」であるだけであると批判している。家永三郎は、「朝鮮戦争」(アメリカの侵略による)と記した。高山正之は、マスコミでもNHKの磯村尚徳が番組で「北が南に攻め込んだ」と語ったことに在日朝鮮人が騒ぎ出し、彼らに同調する土井たか子が抗議、番組内で謝罪するに至ったと述べている。 重村智計によると、日本では長く韓国とアメリカによる侵略説が支配的であり、それに反対すると、学界などの社会から抹殺されかねない雰囲気があり、共産主義・社会主義の北朝鮮を支持するあるいはシンパシーを持つ左派系研究者は、韓国とアメリカによる侵略やアメリカの陰謀を主張したのに対して、リアリズム系の研究者は、北朝鮮による侵略を譲らなかったという。朝鮮戦争に関する最初の書籍は、{日本語版にない記事リンク|I.F. ストーン|en|I. F. Stone}}の『秘史朝鮮戦争』であり、戦争は韓国とアメリカの共謀の可能性が高いと主張した。D・W・W・コンデは、『朝鮮戦争の歴史』において、朝鮮戦争は韓国とアメリカによる侵略であると主張して、共産主義・社会主義の北朝鮮を支持するあるいはシンパシーを持つ左派系研究者の韓国とアメリカによる侵略説のバイブルとなる。しかし、神谷不二が朝鮮戦争は、北朝鮮による侵略であることを客観的に分析した。他に、信夫清三郎がストーンとコンデの誤りを指摘した。その後、児島襄、神田文人 などの研究を経て、現在、学術的には北朝鮮による侵略が一般的な見解となっている。北朝鮮による計画的先制攻撃で開戦したことは、米軍が押収した朝鮮人民軍の膨大なハングル文書を分析した萩原遼も論証している。 中村隆英 1950年6月25日の朝、北朝鮮軍が38度線を越えて韓国側に侵入したことによって始まった。当時、アメリカ軍は韓国から撤退しており、韓国軍の力は弱かったから、北朝鮮軍は無人の野を行くように南朝鮮を進撃し、たちまちソウルは陥落した。 半藤一利 今になってはじめのころの戦局を見ると、北の朝鮮民主主義人民共和国が十分に準備をして攻め入ったと考えざるを得ません。というのも当時、大韓民国(南)に駐留していた米軍はほぼ日本本土に移っていましたから、その空白を狙って、と言うと反論する人もいますが、とにかく北が38度線を越えていきなり攻め入ってきたのです。戦闘準備不足の韓国側は、38度線にほど近いソウルがあっという間に陥落してしまい、その後もガンガン攻められて後退に後退を続けました。 李栄薫 朝鮮戦争はアメリカとの冷戦において勝機を得ようとしたソ連が承認し、北朝鮮と中国が共同で実行した国際紛争戦争でした。 重村智計 旧ソ連の外交文書の公開で、朝鮮戦争の起源が明らかにされた。それによると、朝鮮戦争は『内戦』や『誘因』の展開ではなく金日成首相がソ連の指導者スターリンを説得し開始した、『金日成』の戦争だったのである。また、『ヤルタ体制の崩壊』が生んだ戦争でもあった。 伊藤之雄 この間、6月25日に北朝鮮軍は38度線を越えて韓国に侵攻し、朝鮮戦争となった。突然の侵攻に韓国軍は劣勢で、ソウルは陥落し、釜山周辺にまで追い詰められた。 木村光彦 同軍(北朝鮮軍)は1950年6月25日、38度線をこえ韓国軍を奇襲した。こうしてはじまった朝鮮戦争は、金日成、スターリン、毛沢東が組んでおこなった国際共産主義運動の一大攻勢にほかならなかった。 長谷川幸洋 北朝鮮は50年6月、韓国を奇襲攻撃した。当初、韓国軍は劣勢だったが、マッカーサーが指揮する国連軍が参戦して戦況を盛り返す。韓国・国連軍は中国との国境である鴨緑江まで北朝鮮軍を追い詰めたが、そこで中国は人民解放軍の義勇兵を大量投入した。 宇山卓栄 1950年6月25日午前4時に、約10万の北朝鮮軍は何の前置きもなく、突如、北緯38度線を越えて、侵攻してきました。この日は日曜日で、多くの韓国側の軍人は登庁しておらず、また、農繁期のため、帰郷していた軍人も多く、警戒態勢をとっていませんでした。大統領の李承晩をはじめとする政府首脳部も北朝鮮軍の侵攻を想定していませんでした。(中略)しかし、アメリカ軍も戦争の準備は全く整っておらず、その動きは緩慢で、トルーマン大統領が報告を受けたのは、北朝鮮の侵攻開始から10時間後というありさまでした。(中略)北朝鮮軍は侵攻作戦を綿密に計画していました。そして高度に統制された軍隊は抜け目なく正確に作戦を展開し、破竹の勢いでソウルへ向けて進撃していました。
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