韓国併合以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 05:08 UTC 版)
韓国併合により1910年8月、「公」に封ぜられて恩賜公債84万円を賜り、日本の公族の身分となった。李堈家は、併合前の財産と恩賜公債の利子で年間4万円の収入があったが、李堈の散財により瞬く間に家政が逼迫した。李王職が公家を監督しようとすると、李堈はそれに反発し、金策に奔走して詐欺事件まで起こした。 朝鮮独立運動組織「大同団」は、こうした李堈に目を付け、「金は出すから、朝鮮から出て独立運動の象徴となってほしい」と彼を騙し、李堈公誘拐事件を起こすに至っている。 こうした李堈の行動は、後に制定された王公家軌範第69条の「其ノ品位ヲ辱ムルノ所行」に相当する行為であったが、王公家軌範制定前で王公族を懲戒する法的根拠がなかったため、李王(純宗)が本人を呼び出して誓約書を書かせるのが精一杯であった。 王公家軌範制定後の1930年6月12日に隠居し、公位は長男の李鍵が継承した。
※この「韓国併合以後」の解説は、「李コウ (義親王)」の解説の一部です。
「韓国併合以後」を含む「李コウ (義親王)」の記事については、「李コウ (義親王)」の概要を参照ください。
- 韓国併合以後のページへのリンク