李徳恵とは? わかりやすく解説

徳恵翁主

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 15:39 UTC 版)

徳恵翁主(とくけいおうしゅ/トッケオンジュ/덕혜옹주、1912年5月25日 - 1989年4月21日)は、朝鮮国王・大韓帝国皇帝高宗の王女。「翁主」は、朝鮮(大韓帝国)において王(皇帝)の後宮所生の皇女の称号[1][2]。ただし、徳恵は韓国併合後の出生かつ特例的に王族(王公族)として扱われ、徳恵姫(とくえひめ)となった。


注釈

  1. ^ 王公族ノ権義ニ関スル法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  2. ^ 王公家軌範 - 国立国会図書館 日本法令索引
  3. ^ 李太王の側室は、徳恵の実母を含め王族とならなかった。
  4. ^ 金乙漢は自称「徳恵翁主の許嫁」である金章漢の兄で、新聞記者だった。
  5. ^ 李方子の著書では明治大学となっており、それが広く流布している
  6. ^ 卒業したことは確認できなかった。(本馬 1999 p.242-243)

出典

  1. ^ 복녕당 아지에게 덕혜라는 이름을 내려주다”. 朝鮮王朝実録. 2020年6月25日閲覧。
  2. ^ 덕혜 옹주가 입학한 경성 학교 조합에 돈을 하사하다”. 朝鮮王朝実録. 2020年6月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e 新城 2015 p.107
  4. ^ a b “徳恵翁主を紹介する林間博物館”. KBS WORLD. (2020年5月30日). http://world.kbs.co.kr/service/program_segments_view.htm?lang=j&procode=one&bbs=nphistory&no=35530 2021年6月13日閲覧。 
  5. ^ 덕혜옹주”. www.doopedia.co.kr. 2016年3月10日閲覧。
  6. ^ 坪井秀人著『感覚の近代 声・身体・表象』名古屋大学出版会
  7. ^ 吉川英史「最悪・最良の年の作品群-宮城道雄全作品連続演奏会4-」
  8. ^ 雑誌『朝鮮』105号(1924年1月)
  9. ^ a b 佐々木英編『青い鳥楽譜 第21編 「びら」』1925年
  10. ^ 国会図書館蔵書目録「蜂/雨」(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2915573
  11. ^ 新城 2015 p.59
  12. ^ a b c d 新城 2015 p.108
  13. ^ 新城 2015 p.79
  14. ^ 1925年5月30日 読売新聞「御遊学中の徳恵姫のため朝鮮料理をお学び やさしき方子妃殿下のお心尽し」
  15. ^ 本馬 1999 p.74
  16. ^ 李方子『流れのままに』啓祐社 p.134
  17. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、532頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  18. ^ 新城 2015 p.109
  19. ^ a b c 新城 2015 p.110
  20. ^ 新城 2015 p.110-111
  21. ^ 新城 2015 p.111
  22. ^ 新城 2015 p.111-112
  23. ^ a b c d 新城 2015 p.112
  24. ^ 新城 2015 p.112-113
  25. ^ 本馬 1999 p.214
  26. ^ 本馬 1999 p.216-221
  27. ^ 『旧華族家系大成』による。本馬 1999 p.230-231参照
  28. ^ a b c 新城 2015 p.232
  29. ^ 1984年7月2日 読売新聞「[人]李方子=4 長く祖国喪失 離散の歴史 李朝の孤塁を守る」
  30. ^ 고종황제 외동딸 덕혜옹주 별세(朝鮮語)(MBCニュースデスク、1989年4月21日)
  31. ^ 2016年度版文化学園服飾博物館だより” (pdf). 文化学園服飾博物館. 2020年8月11日閲覧。
  32. ^ “大韓帝国最後の皇女・徳恵翁主の墓が一般開放へ”. 中央日報. (2017年5月12日). https://s.japanese.joins.com/JArticle/228998?sectcode=400&servcode=4000 2021年6月13日閲覧。 
  33. ^ 『官報』第849号、「叙任及辞令」1929年10月28日。p.672
  34. ^ 『山梨日日新聞』1956年8月29日。翌日の同紙に「正恵無事発見」の記事が掲載されたがこれは誤報であり、9月2日の同紙には「南アルプスの正恵さん、生存絶望視」の報が伝えられた。
  35. ^ 『平成新修 旧華族家系大成』上巻p.729(1996年霞会館 ISBN 4642036709
  36. ^ 宗昇の詩「手帳」による。宗昇詩集『記憶のみなわ』所収、待望社
  37. ^ 【社説】映画『徳恵翁主』の歪曲議論、韓国史研究の新たな踏み台に(2)韓国経済新聞/中央日報日本語版2016.08.21
  38. ^ “【社説】映画『徳恵翁主』の歪曲議論、韓国史研究の新たな踏み台に”. 中央日報. (2016年8月21日). http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=219661&servcode=100&sectcode=110 


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李徳恵

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李王家」の記事における「李徳恵」の解説

詳細は「徳恵翁主」を参照 韓国併合後1912年明治45年)、李太王高宗)と側室氏との間に生まれた1925年大正15年)の王公軌範制定により李太王の子として王公族となったが、女子であるため「公」の位や爵位受けていない。1931年昭和6年5月伯爵宗武志との結婚により、王公族から華族となる。戦後離婚。のち韓国へ帰国し1989年平成元年死去

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