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淑徽公主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/09 09:19 UTC 版)

淑徽公主
宗親世
公主
出生年 崇徳7年2月17日1642年3月17日
没死年 康熙33年10月27日1696年11月21日
実父 孝宗
実母 仁宣王后
配偶者 鄭齊賢
子女 鄭台一
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淑徽公主(しゅくきこうしゅ、スクフィコンジュ、숙휘공주、崇徳元年2月17日1642年3月17日) - 康熙36年10月27日1696年11月21日))は、李氏朝鮮第17代国王孝宗仁宣王后の娘。第18代国王顕宗の同母妹。第19代国王粛宗の叔母。

生涯

1642年3月17日、孝宗の四女として誕生。父が1649年に王として即位したことに伴い、同年に公主に封じられた。1653年に12歳で寅平尉 鄭齊賢(チョン・チェヒョン)と結婚。夫との間に息子である鄭台一(チョン・テイル)を儲けたが、夫と息子に先立たれてしまう[1]。そのため、養子を迎えた。

晩年、彼女が病がちになると、甥の粛宗が見舞いに来ていた。1696年、54歳で逝去。

家族

  • 父: 孝宗(1619年 - 1659年)
  • 母: 仁宣王后張氏(1619年 - 1674年)- 新豊府院君張維の娘
    • 姉:淑慎公主朝鮮語版(1634年 - 1645年)
    • 姉:淑安公主(1636年 - 1697年)- 洪得箕正室
    • 姉:淑明公主朝鮮語版(1640年 - 1699年)- 沈益顕正室
    • 兄:顕宗 李棩(1641年 - 1674年)- 李氏朝鮮第18代国王
    • 妹:淑静公主朝鮮語版(1645年 - 1668年)- 鄭載崙正室
    • 妹:淑敬公主朝鮮語版(1648年 - 1671年)- 元夢鱗朝鮮語版正室
    • 義姉:義順公主朝鮮語版(1635年 - 1662年)- 錦林君 李愷胤の娘。睿親王中国語版ドルゴン嫡福晋(正室)中国語版[2]
    • 他、王子2人があったがいずれも夭折。
  • 夫:鄭齊賢(チョン・チェヒョン、1642年 - 1662年)
    • 長男:鄭獜祥(チョン・インサン) 夭逝
    • 次男:鄭台一(チョン・テイル、1661年 - 1685年)
    • 嫁:徳水李氏
    • 養子:鄭健一(チョン・ゴンイル) 齊賢の従甥にあたる。
    • 長女:夭逝

登場作品

脚注

  1. ^ 淑徽公主 - 韓国学中央研究院
  2. ^ 「上下敎政院, 錦林君女子之喪, 令該曹優給喪需. 孝宗朝, 淸國九王, 欲與我國結婚, 遣使要得公主, 孝宗重違其意, 選宗室錦林君愷胤女, 稱以義順公主, 送與九王.」朝鮮王朝実録 顕宗実録5巻、顕宗3年8月18日 戊午2回目



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