和協翁主とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 和協翁主の意味・解説 

和協翁主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 15:39 UTC 版)

和協翁主
宗親世
翁主
出生年 雍正11年3月7日1733年4月20日
没死年 乾隆17年11月27日1753年1月1日
実父 英祖
実母 暎嬪李氏
配偶者 申光綏
子女 申在善
テンプレートを表示

和協翁主(わきょうおうしゅ、ファヒョプオンジュ、화협옹주、雍正11年3月7日1733年4月20日) - 乾隆17年11月27日1753年1月1日))は、李氏朝鮮第21代国王英祖と暎嬪李氏の娘。荘献世子の同母姉。朝鮮第22代国王正祖の伯母。

生涯

1733年、英祖と側室だった暎嬪李氏の五女として誕生。彼女は美貌に恵まれていたが、成人しても、父である英祖から冷遇され続けた。しかし、姉の和平翁主や妹の和緩翁主は父から寵愛を受けている。1739年に翁主に封じられた。

同じく、父から嫌悪されていた荘献世子とは仲良かった。1743年、申光綏と結婚。しかし、英祖は夫である申光綏までも冷遇した。

1752年麻疹を患ったため、数え年の20歳で死去。今まで彼女を毛嫌いし蔑ろにし続けた英祖も彼女の死に深く悲しんだとされる。

逸話

2016年に彼女の移葬前の墓が南楊州市で発見された[1][2]。墓からは青銅器化粧品などの遺物が発掘された。

家族

  • 父:英祖
  • 母:暎嬪李氏(1696年 - 1764年)
    • 姉:和平翁主朝鮮語版(1727年 - 1748年)
    • 弟:思悼世子/荘献世子 李愃(1735年 - 1762年)- 第22代国王正祖の実父。追贈王(廟号: 荘祖)
    • 妹:和緩翁主(1738年 - 1808年)
    • 他、姉3人があったがいずれも夭折。
  • 夫:永城尉 申光綏(シン・グァンス)
    • 養子:申在善(シン・ジェソン、1752年 - 1810年)

脚注

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  和協翁主のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「和協翁主」の関連用語

和協翁主のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



和協翁主のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの和協翁主 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS