李丙吉とは? わかりやすく解説

李丙吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/30 04:49 UTC 版)

李丙吉
各種表記
ハングル 이병길
漢字 李丙吉
発音: イ・ビョンギル
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李 丙吉(イ・ビョンギル、朝鮮語: 이병길1905年光武9年 / 明治38年)1月12日 - 1950年12月28日)は、日本官僚実業家位階正四位[1]爵位侯爵本貫は牛峰李氏[2]

経歴

1905年に李恒九男爵の長男として生まれた[1]李完用の次男が恒九であり、丙吉は孫にあたる。その後、李完用の長男である李升九の養子に入り[1]1926年に(大正15年)に李完用が死去すると、侯爵を襲爵した。学習院高等科を卒業し[2]1927年昭和2年)京都帝国大学に入学[2]1931年(昭和6年)に帝大を卒業し[2]朝鮮総督府学務局編集嘱託を経て[2]1934年(昭和9年)に宮内省式部職御用掛に任命された[2]1939年(昭和14年)から国民精神総動員朝鮮連盟参事を兼任[2]1941年(昭和16年)に退官し[1]朝鮮総督府中枢院参議に任命された[1]興亜報国団常任委員などを兼任。実業界では1940年(昭和15年)に朝鮮生命保険株式会社取締役、東亜合同木材株式会社取締役に就任。翌年には江原薬業株式会社取締役、京城建物株式会社代表取締役に就任した[2]1943年(昭和18年)に国民総力朝鮮連盟評議員に任命され、北青鉄山株式会社取締役、江原生薬株式会社取締役、江原林業株式会社取締役に就任し[2]1945年(昭和20年)には朝鮮生命徵兵保険株式会社取締役に就任した[2]

光復後の1949年反民族行為特別調査委員会に逮捕され[2]、懲役2年執行猶予5年・全羅北道に所有していた林野の2分の1を没収される判決を受けた[2]1950年に死去[2]2004年韓国で成立した日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法によって、親日反民族行為者に認定された[2]

栄典

出典

  1. ^ a b c d e 帝国秘密探偵社 1942, 朝鮮115頁.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 이병길(李丙吉) 韓国民族文化大百科事典
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献


李丙吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 04:00 UTC 版)

朝鮮貴族」の記事における「李丙吉」の解説

李完用相続人1926年大正15年3月15日襲爵

※この「李丙吉」の解説は、「朝鮮貴族」の解説の一部です。
「李丙吉」を含む「朝鮮貴族」の記事については、「朝鮮貴族」の概要を参照ください。

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