李中漢、朝鮮戦争の勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 02:15 UTC 版)
「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」の記事における「李中漢、朝鮮戦争の勃発」の解説
下山事件から1ヶ月が経った昭和24年8月頃、事件の3日前に大韓民国代表部に李中漢(井川比佐志)という韓国人の情報屋が現れて、事件の予告を垂れ込んだ。李は米軍のCIC(米陸軍情報部隊)にも垂れ込んだが、虚偽の情報で扇動したとして、米軍が接収していた長崎県の針尾収容所に収容されていた。昭和25年初夏、韓国代表部の書記官から知らされた矢代は収容所の李に面会して、事件の謎を聞き出そうとした。李が「嗄(しゃがれ)声の男」から得たという情報によれば、下山総裁は7月5日に数人の男により誘拐されて、脇の下の血を抜かれて殺害され、死体は午後11時頃に列車に轢かれたという。米軍憲兵(MP)の監視が厳しいために李の話せることには縛りがあり、また捜査で判ったこととは細部に食い違いがあったが、興味深い内容であり、検察も興味を示した。 遠山部長の情報によれば、李はその後に米軍のヘリコプターで本国に送還されたらしい。遠山は、李は真相を知りすぎたために海へ落とされて消されたのだと推測し、矢代に消される前に事件から手を引くべきだと説得を試みる。 昭和25年(1950年)6月、朝鮮戦争が勃発、昭和28年(1953年)まで続いた。日本は米軍の兵器廠となって、特需景気に沸き、戦後復興が進む。
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