漢城周報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/09 13:39 UTC 版)
漢城周報 | |
---|---|
![]() | |
各種表記 | |
ハングル: | 한성주보 |
漢字: | 漢城周報 |
発音: | ハンソンチュボ |
日本語読み: | かんじょうしゅうほう |
漢城周報(かんじょうしゅうほう)は、1886年1月25日に創刊された朝鮮の週刊の新聞である。
概要
1884年12月に廃刊になった『漢城旬報』の後継紙にあたる。『漢城旬報』と同じく、政府の機関である博文局が発行した。22.5×16.5cmの大きさで、16面または18面あった。
『漢城旬報』は、全て漢文で書かれていたが、『漢城周報』は、国漢文、漢文、ハングルだけの文の3種類が使われた。朝鮮の新聞でハングルが採用された初めてのものである。
1886年2月22日の紙面にドイツの商社である世昌洋行(Edward Meyer & Co.)の広告が掲載されたが、これが朝鮮最初の近代的商業広告となった。
赤字財政のため博文局が1888年7月7日閉鎖されると同時に廃刊となった[1]。
発行に至る経緯
『漢城旬報』の提唱者であった金玉均、朴泳孝らが起こした甲申政変が失敗したことで、政変への加担者たちは日本へ亡命し、『漢城旬報』を発行していた「博文局」も焼かれたため、新聞発行は中断を余儀なくされた。
その後、1885年5月、統理衙門督辦の金允植(김윤식)が高宗に再創刊を提案し、1885年5月12日、高宗は「博文局」を廣印社へ移し新聞復刊を行うように命じた。
出典
- ^ 稲葉継雄 222頁
参考文献・サイト
- 稲葉継雄「井上角五朗と『漢城旬報』『漢城周報』 : ハングル採用問題を中心に」(1987年) hdl:2241/13533
- 19世紀末日韓両語の語彙交流について高麗大学 李漢燮
- 大阪市総合博物館「韓国視覚デザインの歴史」(朝鮮最初の近代的商業広告である、『漢城周報』に掲載された世昌洋行の広告の画像あり)
関連項目
固有名詞の分類
- 漢城周報のページへのリンク