「文字戦争」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 17:56 UTC 版)
ハングル専用か漢字混用か。世論調査でも国論を二分している韓国にあっては政治家も争点にすることに難色を示し、独立以来続いているこの論争を、月刊朝鮮は「五十年文字戦争」(1998年当時)と名付けた。 李氏朝鮮時代には、漢字の知識の有無が知識人と大衆を分け隔てる一線とされた。李朝末期に一部の民族主義団体がハングル振興運動を起こし(「ハン-グル(偉大な-文字)」という呼称もその当時に「諺文(オンモン)」という卑称から改められたもの)、日韓併合以降は民間のハングル学会などに引き継がれた。1886年には、朴泳孝ら開化派が発行し井上角五郎らが編集指導に加わった純漢文の新聞、「漢城旬報」の後を継ぎ、彼らによって、漢字とハングル混交文による初めての新聞、「漢城周報」が発行された。 朝鮮における常用の言葉として朝鮮語と漢文の2種が日本統治時代の学校における教科目とされた。漢字を学ぶ漢文は、朝鮮教育令に於いて「朝鮮語及び漢文」という一科目で当初規定されたが、1922年の教育令改正後には独立した二科目となり、漢文は高等科の教科に課され、朝鮮語は普通学校の必須科目として据え置かれた。 第二次世界大戦中には公教育におけるハングルの授業は中止され、1940年には朝鮮日報、東亜日報は廃刊され、ハングルの新聞は毎日新報一紙のみとなった。
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