最古の橋とは? わかりやすく解説

最古の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 19:29 UTC 版)

宇治橋 (宇治市)」の記事における「最古の橋」の解説

瀬田の唐橋」と「山崎橋と共に日本古橋一つ数えられる宇治橋のいわれは、東詰の橋寺放生院にある「宇治橋断碑」に刻まれている。断碑の上半分は、奈良時代のものと言われ江戸時代境内から掘り出され下部補ったのである。その断碑には、宇治橋けたのは僧道登とあり、続日本紀には道昭だと記されている。 松村博『日本霊異記』道登宇治橋けたのは大化2年646年)と伝えられていること、道昭舒明天皇元年629年生まれ白雉4年653年)に遣唐使随って留学して斉明天皇6年661年)に帰国して以降各地巡ってけたと伝えられていること、壬申の乱一因として大海人皇子(後の天武天皇)を押さえるために近江朝廷宇治橋押さえて近江京飛鳥京交通遮断したことが挙げられていることから、道登大化年間民間地元豪族協力受けて宇治橋けたものの後に洪水などで流出し天智天皇大津宮遷都した頃に近江朝廷支援受けて道昭大津飛鳥を結ぶ官道相応し宇治橋けた(このため民間事業であった道登業績記録されなかった)と推測している。同時に道登道昭多く人々社会事業参加させることで仏縁にあずからしめる「作善」を目的とした架橋であった点では共通しており、その考え道昭弟子である行基らに受け継がれたとする。 『延喜式』には、「宇治橋敷板近江国丹波国八枚、長サ各三丈、弘サ一尺三寸、厚サ八寸」とある。

※この「最古の橋」の解説は、「宇治橋 (宇治市)」の解説の一部です。
「最古の橋」を含む「宇治橋 (宇治市)」の記事については、「宇治橋 (宇治市)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「最古の橋」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「最古の橋」の関連用語

最古の橋のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



最古の橋のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの宇治橋 (宇治市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS