最古の反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 02:40 UTC 版)
人類がいつどこで反乱という行為を最初に起こしたのかについては分かっていないが、文明を築き、集団生活の中に「社会」を構成し始めた4大文明の時代から近代まで、常に反乱は発生してきた。 シュメール王朝を吸収して北部メソポタミア地方に興ったアッカド帝国第2の王、リムシュが生きた紀元前2300年代にはすでに、旧シュメール王朝派の都市国家ウルの王、カクを中心にした勢力がリムシュに対して反乱を起こし「シュメールと激しく戦った。8742人の兵士を殺し都市を破壊し、城壁を崩した」と記録が残されている。 この反乱の原因が、旧シュメール王朝派によるクーデター的なものだったのか、帝国による旧シュメール王朝派への何らかの迫害の結果なのかは判明していないが、より詳しく歴史をつづるようになったその後の人類による反乱の記録を見てゆくと、反乱が発生した国家の支配層には、常に公的な部分に何らかの問題があることが読みとれる。
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