現在の橋
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1926年(大正15年)2月12日 - 新しい橋の工事に着手。 1927年(昭和2年)7月15日 - 竣工。完成した現在の橋は当時としては最新鋭の技術(鉄筋コンクリート構造)で作られ、中央に複線の市電が走り、その両側に車道、さらにその両側が歩道であった。 1944年(昭和19年)12月7日 - 「昭和東南海地震」発生。被災はなかった。 1944年(昭和19年)1月13日 - 「三河地震」発生。被災はなかった。ただし矢作橋は左岸側の橋桁が落橋した。 1945年(昭和20年)7月20日 - 岡崎空襲で市電は11両の内6両を焼失したが、橋は残っている。 1965年(昭和40年) - 御影石製の高欄が花火客とともに落下したため、現在の鉄筋コンクリート製のものに取り替えられた。 1979年(昭和54年) - 耐震化工事がなされる。 1979年(昭和54年)9月 - 市民の寄贈により親柱上の街灯4基が復元された。 1989年(平成元年)- 景観に配慮した修景工事が完成した。 2015年(平成27年)6月15日 - 耐震・長寿命化工事に着手。 2016年(平成28年)3月25日 - 夜間ライトアップが復活。 2021年(令和3年)9月28日 - 土木学会選奨土木遺産に認定された。
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現在の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:41 UTC 版)
1937年(昭和12年)7月 - 竣工。 1937年(昭和12年)9月10日 - 渡橋式。 1944年(昭和19年)12月7日 - 「昭和東南海地震」発生。被災はなかった。 1945年(昭和20年)1月13日 - 「三河地震」発生。被災はなかった。 1945年(昭和20年)7月20日 - 岡崎市街地を襲った空襲にも耐え、多くの市民が橋の下に逃げた。 1968年(昭和43年) - 橋の両側に歩道が拡幅された。 1977年(昭和52年) - 耐震化工事が行われた。 1993年(平成5年) - 景観に配慮した修景工事が行われた。 2016年(平成28年)5月24日 - 夜間ライトアップが開始。 2022年(令和3年)3月3日 - ロシアのウクライナ侵攻を受け、岡崎市は犠牲者への追悼の意を示すため、明代橋と殿橋をウクライナの国旗と同じ青と黄色にライトアップした。 @media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important} 明代橋と東岡崎駅周辺の地図 明代橋の渡橋式(1937年) ウクライナの国旗と同じ青と黄色にライトアップされた明代橋
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現在の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:27 UTC 版)
20世紀以降の大阪市電の敷設、都市計画事業による道路拡張にあわせて本町橋も大正2年(1913年)に鉄橋に架け替えられた。三径間の2ヒンジアーチ橋で、下部は広くし、橋脚には石柱を模した飾りが付き、その上部はバルコニーとなっている。この橋は昭和57年(1982年)に大がかりな補修がされたが現役である。 橋長:46.5m 幅員:21.6m 形式:鋼アーチ(三径間2ヒンジアーチ) 完成:1913年(大正2年) 2009年に「大阪市内で最古の橋」として土木学会選奨土木遺産に選ばれる。
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現在の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:51 UTC 版)
現在の開運橋は橋長82.25m。トラス橋にアーチ構造を用いて補強した下路ランガー形式(支間60m)1連を主たる構造とし、支間10mのコンクリート桁を2連組み合わせた構造となっている。2015年に22年ぶり5回目となる塗り替え工事が行われムーンホワイトとなった。かつては濃緑色、白色に塗られていた時期もある。 種別 - 鋼道路橋・コンクリート道路橋 最大支間 - 60m 鋼重 - 417t 活荷重 - 一等橋(1939年道示 TL-13)
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現在の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 08:37 UTC 版)
完成当時は言問橋・天満橋と共に「三大ゲルバー橋」とよばれ、技術的にも当時の最先端であった。 ガードレール部分には軍配や花火が描かれ、柱部には両国国技館の屋根を模った飾りを配するなど、デザイン的にも凝ったつくりになっている。 構造形式 3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋 橋長 164.5m 幅員 24.0m 着工 1930年(昭和5年)2月 竣工 1932年(昭和7年)5月18日 施工主体 東京市 施工 石川島造船所 / 間組
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現在の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 08:16 UTC 版)
橋の全長は、取り付け部を含めると668メートルである。最大幅は38.4メートル、6車線24メートルの車道と5メートルの歩道2本で構成される。 ハンガーロープは1本幅4センチメートル、長さ93センチメートルのアイバー(英語版)を連ねてあり、NKMZ製作所(英語版)製のSDS鋼鉄を採用した。それぞれ全長300メートル超の2本の桁を支える終端に、巨大なコンクリート製のおもりを吊り下げる構造である。幅50センチメートルのI型鋼材の梁を桁に1.6メートル間隔で渡し、デッキ面はコンクリート舗装である。 この橋は1939年3月と1848年12月の2回、郵便切手に登場している。見かけが独特なクルイムスキイ橋は、費用対効果が非常に低い。鋼材約1万トンすなわちデッキ1平方メートル単位およそ1メートルトンを費やし、橋自体、空間利用率24から38.4と非常に非効率である[疑問点 – ノート]。 デッキは2001年に舗装をやり直した。改修中は交通を制限したが、完全に閉鎖することはなかった。
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