現在の橋梁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 09:38 UTC 版)
「日本橋 (東京都中央区の橋)」の記事における「現在の橋梁」の解説
2022年現在の橋は20代目に当たるとされる。1903年(明治36年)の市区改正計画により、幅6間以上の橋梁は鉄橋もしくは石橋を架設することに定められたため、木造だった以前の橋(明治5年築)に替わり、大都市東京にふさわしい新たな橋として1908年(明治41年)に着工、1911年(明治44年)に完成した。石造二連アーチ橋で、橋の長さ49メートル (m)、幅27.3 m、設計は東京市橋梁課長も樺島正義と主任技師の米本晋一による。橋柱の銘板にある「日本橋」の揮毫は徳川慶喜のもの。大正天皇は、現在の石橋に架け替えられた2年後に当たる1913年(大正2年)の作とされる漢詩「日本橋」の中で、「日本橋」の名は日本の道路の起点として名に恥じぬふさわしい風格を備えているという意味の橋を賞賛する詩を詠んでいる。 路面電車(後の都電)を通すことが決まっていた路面はわずかにアーチを描き、橋脚と橋台は山口県産の名石、側面は真壁石、アーチ部分と道路の表面は稲田石を使っている。内部は、最も荷重の掛かる両端がコンクリートで、さほど荷重の掛からない中央部分が煉瓦。推定寿命は1000年程度とされる。 装飾顧問は妻木頼黄、装飾制作は東京美術学校、青銅像の原型製作は渡辺長男が担当した。西洋的な基本デザインに、麒麟と獅子の青銅像や一里塚を表す松や榎木を取り入れた柱模様など、日本的なモチーフを加えた和洋折衷の装飾になっている。麒麟像には日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージから翼が付けられ、奈良県手向山八幡宮の狛犬やヨーロッパのライオン像などを参考にした獅子像は東京市の紋章を手にしている。 周辺の企業や住民が、名橋「日本橋」保存会 を組織して、橋の清掃などを行っている。
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