近江京とは? わかりやすく解説

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近江大津宮

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 21:23 UTC 版)

近江大津宮(おうみおおつのみや/おうみのおおつのみや)は、飛鳥時代天智天皇近江国滋賀郡に営んだ都。天智天皇6年(667年)に飛鳥から近江に遷都した天智天皇はこの宮で正式に即位し、近江令庚午年籍など律令制の基礎となる施策を実行。天皇崩御後に朝廷の指導者となった大友皇子(弘文天皇)は天武天皇元年(672年)の壬申の乱大海人皇子に敗れたため、5年余りで廃都となった。


  1. ^ 櫻井信也「「大津宮」の宮号とアフミの表記」『近江地方史研究』第32号、1996年
  2. ^ 当時は政治に不満がある時、宮殿へ放火する風習があったと推測されている。類似例として、天平17年(745年)4月には紫香楽宮の周辺で山火事が頻発しているが、これは聖武天皇が紫香楽宮にとどまることに対するデモンストレーションとの見方がある。※詳しくは、神火も参照。
  3. ^ 林博通「紫香楽宮」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版、1991年、28ページ
  4. ^ 但し、この正統性は天武天皇のものと併せ江戸時代より議論の的となっている。
  5. ^ 市川理恵『王朝時代の実像2 京職と支配 平安京の行政と住民』(臨川書店、2021年) ISBN 978-4-653-04702-5 P180-182.
  6. ^ 櫻井信也「「大津京駅」改名運動と歴史認識」(『古代史の海』第43号、2006年)、同「「大津京」論の現在と駅名改変」(『皇子山だより』第93号、2007年)、同「「大津京」の定義と学術用語」(『古代史の海』第55号、2009年)


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