日吉大社の創建と延暦寺
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日吉大社は、もともと近江国日枝山(ひえのやま:後に比叡山の字が充てられた)の神である「大山咋神」(おおやまくいのかみ)を祀っていたもので、後に近江京遷都の翌年である天智天皇七年(668年)、大津京鎮護のため大和国三輪山(三諸山(みもろやま)とも)の大三輪神(おおみわのかみ)、すなわち大物主神(おおものぬしのかみ)を勧請しともに祀られた。 比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、大山咋神・大物主神は地主神として天台宗・延暦寺の守護神とされた。延暦寺を開いた最澄は寺の周囲に結界を定め、その地主神を比叡山の「諸山王」として比叡社に祀った。唐の天台山国清寺が地主神として「山王弼真君」を祀っていることに因み、延暦寺ではこの両神を「山王」と称した。なお、最澄にとって比叡山の「山王」とは、山岳信仰に基づく、アニミズム的な形態に近い信仰対象であった。 最澄にとって、「山王」とは山の地主神を仏教的に表現したものであるといわれる。最澄が著したと思われる文書には、神名ではなくほとんど「山王が使われており、あえて「神」とは呼ばなかった点に、仏教徒としての配慮がうかがわれるという。このような、最澄による「山王」の扱いが、後に、神仏習合の「山王神道」の成立を導いていったともされる。
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