日吉大社の創建と延暦寺とは? わかりやすく解説

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日吉大社の創建と延暦寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/13 19:35 UTC 版)

山王信仰」の記事における「日吉大社の創建と延暦寺」の解説

日吉大社は、もともと近江国日枝山(ひえのやま:後に比叡山の字が充てられた)の神である「大山咋神」(おおやまくいのかみ)を祀っていたもので、後に近江京遷都翌年である天智天皇七年668年)、大津鎮護のため大和国三輪山三諸山(みもろやま)とも)の大三輪神(おおみわのかみ)、すなわち大物主神おおものぬしのかみ)を勧請しともに祀られた。 比叡山天台宗延暦寺ができてからは、大山咋神大物主神地主神として天台宗延暦寺守護神とされた。延暦寺開いた最澄は寺の周囲結界定め、その地主神比叡山の「諸山王」として比叡社に祀った。唐の天台山国清寺地主神として「山王弼真君」を祀っていることに因み延暦寺ではこの両神を「山王」と称した。なお、最澄にとって比叡山の「山王」とは、山岳信仰に基づく、アニミズム的な形態に近い信仰対象であった最澄にとって、「山王」とは山の地主神仏教的表現したのであるといわれる最澄著した思われる文書には、神名ではなくほとんど「山王使われており、あえて「神」とは呼ばなかった点に、仏教徒としての配慮うかがわれるという。このような最澄による「山王」の扱いが、後に、神仏習合の「山王神道」の成立導いていったともされる

※この「日吉大社の創建と延暦寺」の解説は、「山王信仰」の解説の一部です。
「日吉大社の創建と延暦寺」を含む「山王信仰」の記事については、「山王信仰」の概要を参照ください。

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