大三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/12 09:46 UTC 版)
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | ![]() 〒781-5310 高知県香南市赤岡町2258番地3 |
設立 | 1965年3月16日 (大三綿業株式会社) |
業種 | 繊維製品 |
法人番号 | 9490001006484 |
事業内容 | 衛生材料、衛生用品の製造販売 |
代表者 | 代表取締役社長 藤本透 |
資本金 | 9,800万円 |
売上高 | 51億円(2013年3月期) |
従業員数 | 70名(2013年3月31日現在)) |
主要株主 | 丸三産業 |
外部リンク | https://www.cotton.co.jp/ |
大三株式会社(だいさん)は高知県香南市赤岡町に本社を置く、綿を主原料とする衛生用品の製造販売をおこなう企業である。1920年創業。
概要
1920年(大正9年)に高知で綿の製造をおこなう「大三製綿所」として創業される。明治期から大正期にかけて、時の内閣総理大臣であった桂太郎の「ニコポン主義」にあやかり、1929年(昭和4年)に同社製造の綿を「ニコホン綿」として商標を登録する。
戦後は脱脂綿を軸に綿棒・カラーパフ・フィルターパック・ガーゼ・マスク・ウェットティッシュー・大人用紙おむつなどの製品を製造販売している。
2000年(平成12年)に白元へ株式譲渡したのを機に同社のグループ傘下に入る。
2010年(平成22年)には、丸三産業と業務提携を行い、2014年(平成26年)に白元が経営破綻した後に、丸三産業の子会社となる。
沿革
- 1965年(昭和40年)
- 1970年(昭和45年)9月8日 - 商号を大三株式会社に変更。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 資本金を4,500万円に増資。
- 1994年(平成6年)2月16日 - 株式会社旭光を合併。資本金を7,780万円に増資。
- 2000年(平成12年)12月1日 - 大三合資会社を合併。資本金を1億840万円に増資。
- 2001年(平成13年)1月26日 - 資本金を4,800万円に減資。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 本店を高知県香南市赤岡町2258番地3に移転。
ホーロー看板
同社が製造していたニコホン綿は、西日本各地でホーロー看板として各地方の建物に貼られ、現在でも多くのところで見られる。ただ同社が高知県の企業であるため故か、東日本では全くと言っていいほど見ることはできない[1]。
脚注
外部リンク
大三
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「大三」の例文・使い方・用例・文例
- 大三角帆 《特に地中海で用いられる》.
- 三角形(大三角帆)の帆を備えて
- アラブ人が使用した、大三角帆を装備した帆船
- 横帆や大三角帆を支えて広げるのに使われる、先細で長い水平の円材
- 約3万9千人の人が,報徳学園と東京の日大三の試合を見に,甲子園球場へやって来た。
- 一方,日大三は,夏と春の大会を連覇する5番目の高校になることを期待されていた。
- 報徳のエースピッチャー,大谷選手は初回に2点を許したが,その後は日大三を無得点に抑えた。
- 日大三の野崎主将は涙をこらえきれず,「この夏は報徳を倒しに,甲子園に帰ってきます。」と話した。
- その試合は延長戦に入り,沖縄県の興(こう)南(なん)高校が10-5で東京の日大三高を破った。
- 決勝では,日大三が4回裏に3-0とリードしていた。
- 日大三は6回裏,すぐに2点を加え,試合を5-5の同点にした。
- 日大三が夏の甲(こう)子(し)園(えん)で2度目の優勝
- 決勝は東京の日本大学第三高校(日大三高)と青森県の光(こう)星(せい)学院高校の間で戦われた。
- 日大三高が11-0でその試合に勝利し,同校にとって2度目となる夏の甲子園での優勝を果たした。
- 日大三高は準決勝で岡山県の関(かん)西(ぜい)高校を14-4で破り,10年ぶりに決勝に進出した。
- 決勝では,日大三高の外野手,高山俊(しゅん)選手が3回にスリーランホームランを打った。
- 7回,日大三高は鈴木貴(たか)弘(ひろ)選手のツーランホームランを含む5安打で5点を挙げた。
- 日大三高の小(お)倉(ぐら)全(まさ)由(よし)監督は「東北の人たちに勇気を与えるプレーをしようと選手たちに言ってきた。それを実際にやってくれた。」と話した。
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