近江京と「大津京」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 13:17 UTC 版)
日本書紀には天智天皇の近江の都を「近江京」と表記しているが、平城京や平安京のような条坊制が存在したことを示す記載はないほか、特別行政区としての「京域」の存在も確認できない。このことから、近江京とは「おうみのみやこ」の意味であると考えられる。 一方で、平安時代の承和6年(839年)、朝廷は京職と諸国の国司に対して庚午年籍を写して中央(中務省)への提出するように命じている。京職が扱っている戸籍は京戸、すなわち京に属する人々の戸籍であり、京職がこの命令を受けたことは庚午年籍が編纂された天智天皇9年(670年)には京戸とその前提となる京が存在していたことになる、という指摘もある(ただし、この指摘は大津宮のあった時代に「京」の概念が存在していたという指摘であり、条坊制の存在を意味するものでは無い)。 明治時代に喜田貞吉(歴史学者)が条坊制の存在を信じて文献史料にはみえない「大津京」という語を用いて以降、歴史地理学や考古学の研究者がこの語を用いるようになった。近年では条坊制の存在を否定する研究者までがこの語を用いているためその概念や定義は極めて曖昧となり、研究に混乱をきたしている。 また、JR西日本湖西線の西大津駅は、地元自治体の請願により2008年3月に「大津京駅」に改称されたが(その後京阪石山坂本線の皇子山駅も2018年3月に「京阪大津京駅」に改称)、「大津京」という用語や概念をめぐり更なる誤解や混乱を生む恐れが指摘されている。 ※詳しくは、大津京駅#駅名に関する議論および脚注参照。
※この「近江京と「大津京」」の解説は、「近江大津宮」の解説の一部です。
「近江京と「大津京」」を含む「近江大津宮」の記事については、「近江大津宮」の概要を参照ください。
- 近江京と「大津京」のページへのリンク