近江の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 00:09 UTC 版)
近江においては、天保7年8月13日(1836年9月23日)暴風雨から水田に多大な被害が生じ米価が4倍に高騰、毎日瀬田の唐橋から身投げ者が続出し、浅井郡甲津原村(現滋賀県米原市)では食料が無くなり木の根などを食べ、中毒から97名が死亡したとの記録がある。同年12月(1837年1月)園城寺領滋賀郡正興寺村(現大津市)にて農民が米借用を求めた騒動を起こし、天保10年11月(1839年12月)世情不安から大津町中の木戸門警備が強化された。飢饉による被害から世情自体が騒然としつつあった。
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