近江の大名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:13 UTC 版)
文禄4年(1595年)には近江大津城6万石へと加増され、従四位・左近衛少将にも任ぜられた。大津城は明智光秀の坂本城の後継として秀吉の親族である浅野長政が築いたものである。滋賀郡にある南西近江の要の城であった。翌年には羽柴の苗字公称も許され、豊臣姓を下賜され、従三位・参議(宰相)に任ぜられる。 この頃の高次の出世は自身の功ではなく、妹や妻の尻の光(閨閥)に拠ったといわれ、高次は陰で蛍大名と囁かれた。しかし近江国支配を円滑に進めたい豊臣家は、浅井家以前に大名羽柴家の草創地である北近江の代々の領主であった京極家の名望を利用する目的があった。
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