桜井義之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/28 07:28 UTC 版)
人物情報 | |
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生誕 |
1904年4月6日![]() |
死没 | 1989年9月12日 (85歳) |
出身校 | 中央大学 |
学問 | |
研究分野 | 書誌学 |
研究機関 | 東京都立大学 (1949-2011) |
桜井 義之(さくらい よしゆき、1904年4月6日 - 1989年9月12日[1])は、昭和期の書誌学者である。
経歴
福島県久慈川近くで生まれる。中央大学経済学科に通学する傍ら、東京帝大法学研究室でアルバイトとして吉野作造の私設秘書となる。1926年に中央大卒業後、1928年9月に吉野の口利きで京城帝国大学法文学部経済研究室助手として、資料室の配属となった。1933年には、京城帝大朝鮮経済研究所研究員として、四方博の下で書誌の整理を行っている。1941年、京城帝大を離れ、朝鮮総督府文書課に転じ、調査係主査として朝鮮総督府機関誌『朝鮮』の編集にあたった。
戦後は、元京城帝大法文学部長の上野直昭の紹介で東京芸術大学に勤務した後、1950年東京都立大学 (1949-2011)図書館事務長となり、1956年同大学の図書館学・書誌学の専任講師となっている。1950年に朝鮮学会が設立されると、常任幹事として会務にあたった。1968年に定年を迎えると、元京城帝大法文学部教授で京城帝大図書館長であった船田享二の招きで、船田が理事長を務める作新女子短期大学の図書館学主任教授となった。1974年、1984年の二回に分けて桜井が個人で蒐集した蔵書を東京経済大学に寄贈し、桜井義之文庫を創設した。
脚注
- ^ 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.291
外部リンク
櫻井義之
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櫻井 義之 さくらい よしゆき | |
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![]() 内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1963年2月25日(61歳) |
出身校 | 関西大学社会学部 |
所属政党 | 無所属 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 2009年2月6日 - 現職 |
選挙区 | 亀山市選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1995年4月30日 - |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1991年4月 - 1995年3月 |
櫻井 義之(さくらい よしゆき、1963年〈昭和38年〉2月25日[1] - )は、日本の政治家。三重県亀山市長(5期)。元三重県議会議員(4期)、元亀山市議会議員(1期)。
来歴
1981年(昭和56年)3月、三重県立神戸高等学校卒業。1986年(昭和61年)3月、関西大学社会学部卒業[2]。
1991年(平成3年)4月、亀山市議会議員選挙に初当選。1期務めたのち、1995年(平成7年)に三重県議会議員選挙に出馬し初当選。2007年(平成19年)まで4選を重ねる。
2009年(平成21年)2月1日に行われた亀山市長選挙に出馬。旧関町長の清水孝哉を破り初当選(櫻井:12,727票、清水:11,193票)。投票率は62.65%。2月6日、市長就任[3]。
2013年(平成25年)、無投票により再選。
2017年(平成29年)の市長選では連合三重の推薦を受けて出馬。元市議の豊田恵理を破り3選(櫻井:12,229票、豊田:7,332票)。投票率は50.00%[4][5]。
2025年(令和7年)の市長選では古民家スペース経営の神巫リエル(本名:早田有為子)を破り5選(櫻井:11,158票、神巫:3,176票)。投票率は37.6%[7][8]。
脚注
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、258頁。
- ^ 市長のプロフィール | 亀山市
- ^ 三重県選挙管理委員会/任期満了日一覧
- ^ “亀山市長選/亀山市議補選 市政継続を選択 市長選、桜井氏が3選 /三重”. 毎日新聞. (2017年1月30日) 2017年3月3日閲覧。
- ^ 平成29年1月29日執行 亀山市長選挙 開票結果 | 亀山市
- ^ 三重・亀山市長に桜井氏4選:中日新聞Web
- ^ “亀山市長選挙、現職の桜井義之氏が5選 幅広く支持集め神巫リエル氏破る:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2025年1月27日閲覧。
- ^ “亀山市長選挙 - 2025年01月26日投票 | 三重県亀山市”. 選挙ドットコム. 2025年1月27日閲覧。
外部リンク
関連項目
- 桜井義之のページへのリンク