李鴻章とは?

り こうしょう -こうしやう 【李鴻章】 ○

1823~1901中国清末政治家安徽あんき)省合肥県の人。字(あざな)は少荃(ようせん)、号は儀叟(ぎそう)。太平天国の乱鎮圧功績をあげ、直隷総督北洋大臣となる。洋務運動推進。特に下関条約義和団事件など清末多く外交上の難局の処理に当たった。リー=ホンチャン。

李鴻章

作者佐藤春夫

収載図書美しき町西班牙犬の家 他六篇
出版社岩波書店
刊行年月1992.8
シリーズ名岩波文庫

収載図書定本 佐藤春夫全集 第5巻 創作 3
出版社臨川書店
刊行年月1998.6


李鴻章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/29 08:34 UTC 版)

李 鴻章(り こうしょう、拼音: Lǐ Hóngzhāng リー ホンチャン、1823年2月15日道光3年1月5日) - 1901年11月7日光緒27年9月27日))は、中国代の政治家少荃(しょうせん)。洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力した。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の欽差大臣(全権大使)となり、調印を行ったことでも知られる。


  1. ^ 梁、P53、P56 - P60、岡本、P2 - P9、P34 - P52。
  2. ^ 梁、P64 - P100、P123 - P143、井上、P162 - P171、P198 - P200、岡本、P54 - P68、P126 - P128。
  3. ^ 梁、P105 - P121、井上、P203 - P204、岡本、P78 - P93。
  4. ^ 所属邦土は清は朝貢国(朝鮮ほか)を含む土地と解釈したが、日本は所属邦土を清の領土のみを指し、朝貢国は含まれないと考えていた。この認識のずれが後から問題になった。岡本、P96 - P113。
  5. ^ 井上、P202 - P222、岡本、P113 - P173。
  6. ^ 小山は1895年(明治28年)3月30日、山口地裁で無期徒刑の判決を受けた。
  7. ^ 『新聞集成明治編年史. 第九卷』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  8. ^ 梁、P145 - P195、井上、P222 - P227、P232 - P242、岡本、P173 - P183。
  9. ^ イギリスが日本と日英同盟を結ぶのは、李鴻章の死から約3か月後の明治35年(1902年1月30日である。
  10. ^ 梁、P195 - P244、井上、P300 - P302、岡本、P184 - P201。


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