芝罘条約とは? わかりやすく解説

芝罘条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 23:31 UTC 版)

芝罘条約(しふうじょうやく、チーフー条約、英語:Chefoo Convention、中国語:烟台条约)は1876年マーガリー事件に端を発し緊張した両国関係を緩和させるためイギリスの間で結ばれた条約。煙台条約ともいう。清側に一方的に不利な内容であり、不平等条約とされる。

概要

1876年9月13日、煙台芝罘の東海関税務司公署で、イギリス公使トーマス・ウェードと清国代表で北洋大臣であった李鴻章によって締結された。

第一部としてマーガリー事件について、

  1.  5年間限定でイギリスは雲南省大理他の地区に官吏を派遣・駐在し、通商状況視察をさせること
  2.  清政府は賠償金20万両を支払うこと

第二部として

  1.  イギリスの在華外交官が清の高官との交渉を承認すること

第三部として貿易について、

  1.  宜昌蕪湖温州北海の4港開港
  2.  イギリスは重慶に官吏を駐在させ、四川省の通商を調査することが出来ること
  3.  揚子江流域に6ヵ所の汽船立ち寄り港を設置
  4.  租界アヘン以外の外国商品取引時の釐金免除地区とすること
  5.  租界未設の開港場では租界を確定すること

さらに特別条項として、

  •  イギリスが北京から甘粛青海、四川、チベット経由でインドに探検隊を出す際の安全は清政府が保証すること(イギリスのチベットへの通行権を清が承認することを含む)

などの内容を含んでいた。

関連項目


芝罘条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/11/16 09:42 UTC 版)

雲南問題」の記事における「芝罘条約」の解説

下の内容を取り決め中国1876年に、イギリス1885年それぞれ批准したイギリス批准遅れたのはインド政府及び商人反対にあった為。 マーガリー事件謝罪賠償金の支払い 雲南-ビルマ間の国境貿易許可 宜昌蕪湖温州北海開港 イギリス官吏重慶駐在 アヘン対す保税制度適用

※この「芝罘条約」の解説は、「雲南問題」の解説の一部です。
「芝罘条約」を含む「雲南問題」の記事については、「雲南問題」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「芝罘条約」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「芝罘条約」の関連用語

芝罘条約のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



芝罘条約のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの芝罘条約 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの雲南問題 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS