芝罘条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 23:31 UTC 版)
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2022年12月)
|
芝罘条約(しふうじょうやく、チーフー条約、英語:Chefoo Convention、中国語:烟台条约)は1876年にマーガリー事件に端を発し緊張した両国関係を緩和させるため清とイギリスの間で結ばれた条約。煙台条約ともいう。清側に一方的に不利な内容であり、不平等条約とされる。
概要
![]() |
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2022年12月)
|
1876年9月13日、煙台の芝罘の東海関税務司公署で、イギリス公使トーマス・ウェードと清国代表で北洋大臣であった李鴻章によって締結された。
第一部としてマーガリー事件について、
第二部として
- イギリスの在華外交官が清の高官との交渉を承認すること
第三部として貿易について、
- 宜昌、蕪湖、温州、北海の4港開港
- イギリスは重慶に官吏を駐在させ、四川省の通商を調査することが出来ること
- 揚子江流域に6ヵ所の汽船立ち寄り港を設置
- 租界をアヘン以外の外国商品取引時の釐金免除地区とすること
- 租界未設の開港場では租界を確定すること
さらに特別条項として、
などの内容を含んでいた。
関連項目
芝罘条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/11/16 09:42 UTC 版)
以下の内容を取り決め、中国は1876年に、イギリスは1885年にそれぞれ批准した。イギリスの批准が遅れたのはインド政府及び商人の反対にあった為。 マーガリー事件の謝罪と賠償金の支払い 雲南-ビルマ間の国境貿易の許可 宜昌、蕪湖、温州、北海の開港 イギリス官吏の重慶駐在 アヘンに対する保税制度の適用
※この「芝罘条約」の解説は、「雲南問題」の解説の一部です。
「芝罘条約」を含む「雲南問題」の記事については、「雲南問題」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 芝罘条約のページへのリンク