清王朝時代
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1876年9月13日、イギリスは「マーガリー事件」を口実にし、清政府と中英「芝罘条約」(煙台条約)を締結した。それをきっかけで、イギリスが重慶に領事を駐在させることができるようになった。1890年3月31日、中英は「新訂芝罘条約が継続してもっぱら条を増加する」を締結して、貿易港として重慶を確定した。1891年3月1日、重慶税関が朝天門の近くで設立した。 1895年、清帝国は日清戦争の中で日本に打ち負かされて、当時4月の締結する「下関条約」の中規定によって、重慶は日本に内陸の貿易港として開放された。同時に、イギリスとフランスがそれぞれ重慶で領事館区を創立した。
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