芝翫河岸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 02:22 UTC 版)
「中村歌右衛門 (4代目)」の記事における「芝翫河岸」の解説
天保の頃、住いが深川常盤町にあった。小名木川の高橋から萬年橋までの北岸は、当時「芝翫河岸」と呼ばれていた。『六歌仙』の「喜撰」の最初に「わが庵は芝居の辰巳常磐町、しかも浮世を離れ里」とあるのは、この常盤町の住いのことを当て込んだものである。
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