芝蘭堂との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 02:12 UTC 版)
のちに高弟の大槻玄沢が芝蘭堂を起こす。その後は、蘭学を習いたい弟子はそちらへ送られたようである。オランダ語の能力においては玄白はたいしたことがなかったようで、前野良沢に学び長崎留学もした玄沢の方が明らかに上回っていた。また、玄白は毎日往診に忙しく、あまり時間を取れなくなっていたことも関係があるかもしれない。 天真楼塾と芝蘭堂は密接な関係を持って運営を続けていた。文政9年(1826年)に発行された『重訂解体新書』の図版表紙に、天真楼と芝蘭堂の字がともに見える。
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