芝路線での飛躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 05:00 UTC 版)
6月の初頭には芝競走で初勝利を挙げ、同じく6月のロングブランチステークスで芝のステークス競走で初優勝を手にした。以後同年のナシュアハンデキャップ、タイダルハンデキャップ、バーナードバラックハンデキャップと芝の主要競走を勝ち進んでいった。そして同年の末には当時最大級の芝競走であったワシントンDCインターナショナルでダマスカスと対決、これをハナ差で破って優勝を果たした。同年の年度代表馬選考において、フォートマーシーは最優秀芝牡馬に選出された。 フォートマーシーは翌年以降もその力量を衰えさせず、芝路線で猛威を振るい続けた。古馬となって初年度の1968年はドクターフェイガーやチャーアレクサンダーといった強豪を相手にしたこともあり、戦績は13戦3勝(2着6回)と勝ちに恵まれず、また年末のワシントンDCインターナショナルではサーアイヴァーに敗れて3着であった。しかしその内容は悪いものではなく、サンセットハンデキャップでは当時の古豪クイッケンツリーやフィドルアイルらを破っての勝利であった。クイッケンツリーやフィドルアイルとは、その後も同路線で対決していくことになる。 この1968年当時の年度代表馬選考はデイリーレーシングフォーム (DRF) とサラブレッド競馬協会 (TRA) が個別に行っていた。この年、DRFによる年度代表馬選考では、芝競走でも活躍したドクターフェイガーが最優秀芝牡馬部門を含む4部門で受賞を果たしていたが、同様に年度代表馬選考を行っていたTRAの選考では同年の最優秀芝牡馬としてフォートマーシーが選出されている。このため、後年の資料においては同年はドクターフェイガーとフォートマーシーの2頭が受賞したことになっている。 翌1969年はハリウッドパークインビテーショナルターフハンデキャップなどに優勝、13戦5勝の戦績を挙げた。同年は南アフリカ共和国からの移籍馬ハワイが芝路線に現れ、フォートマーシーとも対戦を繰り返した。両馬は7月のタイダルハンデキャップで初対戦し、ここではフォートマーシーが勝利(ハワイ3着)している。以後ケリーオリンピックハンデキャップ(フォートマーシー1着・ハワイ3着)、ユナイテッドネイションズ招待ハンデキャップ(ハワイ1着・フォートマーシー3着)、マンノウォーステークス(ハワイ1着・フォートマーシー3着)と対決を繰り返したが、同年のワシントンDCインターナショナル(ハワイ2着)にフォートマーシーは出走せず、年度代表馬選考においてもハワイに最優秀芝牡馬の称号を奪われてしまった。
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