芝競走への挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 04:01 UTC 版)
10月初頭、プライスはキャリーバックをフランスへと輸送し、世界最高峰の競走であった凱旋門賞へと出走させた。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス勝ち馬のマッチらに混じって、キャリーバックは芝競走初挑戦ながらも3番人気に支持された。しかし初の芝競走、鞍上のアーサー・ブリーズリーも初騎乗、さらに前々からの懸念であった距離不安などの要因が見事に悪く作用し、勝ち馬ソルチコフから離されること5馬身3/4差の10着(24頭立て)に終わった。 アメリカに帰国したキャリーバックは、同年の目標をワシントンDCインターナショナルに設定され、そこへ向けて10月27日のマンノウォーステークスに出走した。ここではしばらく別路線に向いていたケルソや、ホーソーンゴールドカップ勝ちを挙げて意気上がるボーパープルらが同じく登録しており、モンマスハンデキャップ以来の3頭対決になった。定量戦で行われた同競走であったが、優勝したのはそれまでハンデキャップに恵まれてきたと思われていたボーパープルで、2着のケルソに2馬身の差をつけて、さらに2分28秒60のトラックレコードでの勝利であった。その一方で、キャリーバックは10頭立ての5着に終わっている。 大一番を前に、キャリーバックは11月3日のトレントンハンデキャップに出走した。ここは久々のダート戦であったが、トップハンデ129ポンドを積んだキャリーバックは、斤量118ポンドの3歳馬モンゴにハナ差敗れる2着で競走を終えた。 凱旋門賞以来勝ち星のないまま、キャリーバックは11月12日のワシントンDCインターナショナルを迎えた。同年の当競走には日本から天皇賞・秋勝ち馬タカマガハラ、ソビエト連邦から現地のダービーを制したザペッグ、フランスから凱旋門賞でも対戦したマッチなどが招待され、一方のアメリカ勢もケルソやボーパープルらが登録していた。 レースはボーパープルが逃げる展開から始まったが、キャリーバックとケルソはこれを早々と捕らえ、そのまま2頭で先行争いを続けた。この先行争いの消耗戦でキャリーバックも疲れ果てて次第に後退、結果としてこの競走を制したのは後ろから来たマッチで、それから1馬身半離されてケルソが2着、キャリーバックはそこからさらに4馬身半離された3着に敗れた。 この敗戦を最後に、キャリーバックは競走馬を引退して種牡馬となった。この年は18戦して5勝、何度かケルソを破るも若干及ばず、同年の年度代表馬表彰もすべてケルソに掻っ攫われてしまった。
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