第三次英緬戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 15:46 UTC 版)
「en:Third Burmese War」を参照 1885年11月、イギリスはビルマの完全支配を目指して三度目の侵攻を開始、翌1886年にはビルマ王ティーボーがイギリスに降伏し、上ビルマもイギリス領に併合され、イギリス領インドに組み込まれた。一部の将兵がイギリスの占領に反攻して戦闘を続けたが、1890年に完全に鎮圧され、戦争が終結した(第三次英緬戦争、Third Burmese War)。この結果、ビルマ王朝は滅亡し、1886年にイギリス領インドに併合されてその1州となる。ティーボー夫妻はイギリス領のインドのボンベイに流刑になり、その地で死亡。 そして首都マンダレーはイギリス兵により略奪され、王宮にあった玉座などの宝物のほとんどが持ち去られた(第二次世界大戦後に大部分は返却されたが、今なお一部はイギリスが所有している)。 そして1886年7月、イギリスは北京にて清朝と「ビルマとチベットに関する条約」を締結した。本条約では、ビルマについては清朝はイギリスのビルマ併合を認めビルマへの宗主権を主張しないこと、清朝とビルマ間の朝貢貿易は引き続き行われることを取り決めた。同時に、清朝側のビルマに絡むこれらの譲歩の代わりに芝罘条約で取り決められたチベットへの使節派遣特権及び通商権をイギリスが放棄することを取り決めた。 ビルマは1937年にイギリス領インドから分離して自治領となったが、完全な自主独立が回復したのは1948年1月4日にイギリス連邦を離脱してからである。ビルマ王国の滅亡はビルマ人たちにとって屈辱的な事件であり、培われた反英感情はその後のビルマ式社会主義、21世紀の現在まで続く軍事政権の反西欧的な姿勢などに受け継がれている、
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