円城寺清とは? わかりやすく解説

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円城寺清 えんじょうじ きよし

円城寺清の肖像 その1
明治3年11月明治41年10月21日1870~1908)

佐賀小城生まれ政論記者明治22年(1889)東京専門学校邦語政治科に入学し25年(1892)に卒業大隈派の新聞だった郵便報知新聞に入るが、立憲改進党党報局に迎えられる。同党が分裂の後、憲政本党党報の主任記者32年(1899)に万朝報論説記者となり、行動する言論人として知られた。著作に『大隈昔日譚』(1893)『地租全廃論』(1903)などがある。

キーワード ジャーナリスト
著作等近代デジタルライブラリー収載
  1. 大隈伯昔日譚 / 円城寺清著 立憲改進党々報局, 明28.6 <YDM6541>
  2. 日本の富及所得 / 円城寺清著 円城寺清, 明31.10 <YDM40381>
  3. 財政整理案 / 円城寺清著 哲学書院, 明36.4 <YDM40614>
  4. 和戦両様の準備 / 円城寺清(天山著 大日本実業学会, 明37.2 <YDM29617>
  5. 韓国之実情 / 円城寺清著 楽世社, 明39.2 <YDM26389>

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

円城寺清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 04:29 UTC 版)

円城寺 清(えんじょうじ きよし、1870年明治3年)11月 - 1908年(明治41年)10月21日)は、日本ジャーナリスト。号は天山


注釈

  1. ^ この連載の添削を施したものが、1895年6月15日、立憲改進党党報局より刊行される[3]
  2. ^ 他に塩入太輔、山田猪太郎が選ばれる[4]
  3. ^ 他に岩崎万次郎、塩入太輔、黒須竜太郎高田早苗が選ばれる[4]
  4. ^ 他に安田勲、福田常松が選ばれる[4]
  5. ^ 他に波多野伝三郎守屋此助、山田猪太郎、山田烈盛合田福太郎、八木原繁祉、望月小太郎が選ばれる[4]
  6. ^ 他に大石正巳柴四朗武富時敏佐々木正蔵菊池九郎、武内正志、対馬健之助が選ばれる[5]
  7. ^ 他に富田鐵之助江藤新作、山田烈盛、末永純一郎が選ばれる[6]

出典

  1. ^ a b 佐藤 1972, p. 96.
  2. ^ 佐藤 1972, p. 97.
  3. ^ a b c d 佐藤 1972, p. 98.
  4. ^ a b c d e f 党報 & 1898-1, p. 47.
  5. ^ a b 党報 & 1898-2a, p. 42.
  6. ^ a b 党報 & 1898-2b, p. 43.
  7. ^ 佐藤 1972, p. 101.
  8. ^ 百年史 1997, p. 128.
  9. ^ 萬朝報 1908, p. 2.


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