円城寺清 えんじょうじ きよし
佐賀小城生まれ。政論記者。明治22年(1889)東京専門学校の邦語政治科に入学し、25年(1892)に卒業。大隈派の新聞だった郵便報知新聞に入るが、立憲改進党党報局に迎えられる。同党が分裂の後、憲政本党党報の主任記者、32年(1899)に万朝報の論説記者となり、行動する言論人として知られた。著作に『大隈伯昔日譚』(1893)『地租全廃論』(1903)などがある。
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円城寺清
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円城寺 清(えんじょうじ きよし、1870年(明治3年)11月 - 1908年(明治41年)10月21日)は、日本のジャーナリスト。号は天山。
注釈
- ^ この連載の添削を施したものが、1895年6月15日、立憲改進党党報局より刊行される[3]。
- ^ 他に塩入太輔、山田猪太郎が選ばれる[4]。
- ^ 他に岩崎万次郎、塩入太輔、黒須竜太郎、高田早苗が選ばれる[4]。
- ^ 他に安田勲、福田常松が選ばれる[4]。
- ^ 他に波多野伝三郎、守屋此助、山田猪太郎、山田烈盛、合田福太郎、八木原繁祉、望月小太郎が選ばれる[4]。
- ^ 他に大石正巳、柴四朗、武富時敏、佐々木正蔵、菊池九郎、武内正志、対馬健之助が選ばれる[5]。
- ^ 他に富田鐵之助、江藤新作、山田烈盛、末永純一郎が選ばれる[6]。
出典
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