足尾銅山鉱毒問題とは? わかりやすく解説

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足尾銅山鉱毒問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 01:32 UTC 版)

内村鑑三」の記事における「足尾銅山鉱毒問題」の解説

明治34年1901年4月21日に、栃木県足利友愛義団に招かれて、巌本善治木下尚江と共に講演した翌日4月22日に、木下尚江と共に初め足尾訪れた足尾鉱毒被害激しさ知って驚いた内村は、帰京すると『万朝報』に記事書いた。これが、『鉱毒地遊記』である。その中で鉱毒問題原因経営者古河市兵衛起こした人災であると言った5月21日には、東京神田東京キリスト教青年会会館津田仙座長にして足尾鉱毒問題の『同情者』の会が開かれ田中正造説明をした。その結果鉱毒調査有志会が結成され内村巌本善治調査員選ばれた。6月21日より、有志会の調査が、内村主査田中正造案内役として始まった。そして、11月調査会第一回報告内村巌本善治田中弘之高木政勝の連名出された。 また、7月20日内村黒岩涙香堺利彦幸徳秋水天城安政円城寺清斯波貞吉山県五十雄らが発起人なり社会改良目的とする理想団を結成した。夏には、第二回夏期講談会開かれ巌本善治講師になり、小山内薫志賀直哉倉橋惣三浅野三郎斎藤宗次郎加えて足尾鉱毒被害地の田中正造片腕永島与八らが出席した11月1日には東京キリスト教青年会館で足尾鉱毒演説会に、内村巌本善治安部磯雄木下尚江島田三郎と共に出席した内村は、鉱毒問題色慾問題であることを説いた11月29日には桐生教会訪問途中で佐野駅降りて被害地を再び訪問する12月10日には田中正造明治天皇直訴事件起こりそのような中で12月12日再び東京キリスト教青年会館で巌本黒岩幸徳伝次郎秋水)、佐治実然、三宅雄二郎らと足尾鉱毒演説会開いた内村古河市兵衛にポーコを加えよ叫んだ12月27日には、田村直臣委員長安部磯雄監督委員として、約800人の学生によって鉱毒被害視察旅行が行われ、内村木下らも同行した。 しかし、明治35年1902年)になると、4月2日鉱毒問題解決演説会出席した以外は、運動への参加消極的になり、聖書研究沈潜していくことになる。3月10日理想晩餐会席上でも、社会改良法をめぐり、「内村個人安倍社会個人」と発言し安倍磯雄との違い述べた

※この「足尾銅山鉱毒問題」の解説は、「内村鑑三」の解説の一部です。
「足尾銅山鉱毒問題」を含む「内村鑑三」の記事については、「内村鑑三」の概要を参照ください。

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