守屋此助とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 守屋此助の意味・解説 

守屋此助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/29 13:31 UTC 版)

守屋此助

守屋 此助 (もりや このすけ、1861年6月13日文久元年5月6日) - 1931年昭和6年)6月9日)は、日本の政治家弁護士衆議院議員横浜市会議長、神中鉄道(現在の相模鉄道社長

略歴

1861年(文久1年5月6日)、備中国小田郡にて生まれる。東京法学校(現・法政大学)を卒業後、横浜市で弁護士を開業する。

1894年明治27年)に第3回衆議院議員総選挙に当選する(以後当選8回、憲政会)。

1906年(明治39年)から横浜市子安町地先の海面埋め立て事業をおこない(後の守屋町)、1921年(大正10年)に横浜市会議長に就任する(-1922年(大正11年))。東京電車鉄道の監査役、京浜電気鉄道の取締役となり、また、興亜起業取締役会長、平沼製糸社長、神中鉄道、山東起業、満州製麻、青島電気、横浜桟橋倉庫の取締役、平沼製材の社長、日本火薬製造、火薬鉱業、東亜勧業の各監査役、膠奥電気股份有限公司の副董事長、法政大学理事などを歴任した[1]

1931年(昭和6年)6月9日に死去、71歳。

脚注

[脚注の使い方]
出典

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「守屋此助」の関連用語

守屋此助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



守屋此助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの守屋此助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS