三浦梧楼とは? わかりやすく解説

みうら‐ごろう【三浦梧楼】

読み方:みうらごろう

[1847〜1926]軍人政治家山口生まれ広島鎮台司令長官として萩の乱鎮圧。のち、朝鮮特命全権公使として閔妃(びんひ)殺害事件起こした晩年山県有朋とともに政界黒幕として活動


三浦梧楼 みうら ごろう

三浦梧楼の肖像 その1

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三浦梧楼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 03:48 UTC 版)

三浦 梧楼(みうら ごろう、旧字体三浦 梧樓弘化3年11月15日1847年1月1日〉 - 大正15年〈1926年1月28日)は、日本陸軍軍人政治家[1]。 最終階級は陸軍中将。栄典は従一位勲一等子爵観樹


  1. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「三浦梧楼」
  2. ^ 陪臣のままでは入学できないことになっていたので、藩士三浦道庵の養子となった。
  3. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』57頁。
  4. ^ 『官報』第2479号、明治24年10月2日。
  5. ^ a b c d 1986年1月23日時事新報記事、『新聞集成明治編年史』第9巻、361-362頁所載、国立国会図書館デジタルコレクション。
  6. ^ 明治天皇紀、明治28年10月8日条第3項。
  7. ^ 『官報』第7458号、明治41年5月9日。
  8. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)288頁
  9. ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
  10. ^ 『官報』第3625号「叙任及辞令」1895年7月30日。
  11. ^ 『官報』第8534号「叙任及辞令」1911年11月30日。
  12. ^ 『官報』第3110号「叙任及辞令」1922年12月12日。
  13. ^ a b 『官報』第4027号「叙任及辞令」1926年1月29日。
  14. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
  15. ^ 『官報』第2100号「叙任及辞令」1890年7月1日。
  16. ^ 『官報』第813号「宮廷録事 - 恩賜並追賜」1915年4月21日。
  17. ^ 『官報』第817号「叙任及辞令」1915年4月26日。
  18. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  19. ^ 『官報』第3717号「宮廷録事 - 恩賜」1925年1月15日。
  20. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  21. ^ 『官報』第684号「叙任」1885年10月9日。
  22. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻、666頁。


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