長州藩士
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慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後に毛利氏が長門国と周防国の2ヶ国に減封となると元重もそれに従い、長門国美祢郡伊佐郷の内の200石を与えられた。慶長12年(1607年)1月3日には輝元から「三右衛門尉」の官途名を与えられる。 関ヶ原の戦い後に毛利氏に帰参していた父・景幸が元和9年(1623年)6月12日に死去すると、景幸に与えられていた長門国美祢郡伊佐郷の内の540石と、長門国大津郡日置庄の内の460石、合計1000石の知行が元和10年(1624年)1月11日に元重に与えられ、元重に与えられていた長門国美祢郡伊佐郷の内の200石は弟の政重に与えられた。 寛永3年(1626年)12月13日、毛利秀就から「摂津守」の受領名を与えられた。 慶安2年(1649年)7月25日に死去。享年73。嫡男の就征が後を継いだ。
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