日野元重とは? わかりやすく解説

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日野元重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 15:12 UTC 版)

 
日野 元重
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正5年(1577年
死没 慶安2年7月25日1649年9月1日
別名 通称:新次郎→七兵衛尉→三右衛門尉
官位 上総介左近丞摂津守
主君 毛利輝元秀就
長州藩
氏族 清和源氏新田氏日野氏
父母 父:日野景幸、母:杉原盛重の娘
兄弟 元重、清八、五郎介、政重、女(三刀屋孝和室)、女(鷲見半四郎室)、女(阿波国商人の妻)、勝三郎、左助、九郎、女(光永庄左衛門室、大村弥兵衛室)
村上景親の娘
就征、女(奈古屋隆忠正室)、就忠、島亦右衛門、島宇右衛門、女(赤川就久室)、女(入江就勝室)
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日野 元重(ひの もとしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将毛利氏家臣で長州藩士。知行は1000石。父は日野景幸。弟に日野政重

生涯

前半生

天正5年(1577年)、小早川隆景麾下の毛利氏家臣・日野景幸の嫡男として生まれる。

天正18年(1590年)、小田原征伐から帰国した父・景幸から所領を譲られる。景幸は次男の清八と共に小早川隆景の家臣となって筑前国に所領を与えられた。

慶長2年(1597年2月14日毛利秀元から「元」の偏諱を与えられ、2月17日には毛利輝元から「七兵衛尉」の官途名を与えられた。

慶長の役

慶長2年(1597年)から始まる慶長の役では秀元に従って朝鮮に渡った。同年12月22日から慶長3年(1598年1月4日にかけて行われた第一次蔚山城の戦いにおいては和智元盛、三刀屋孝和、口羽元良吉見広行ら毛利氏家臣に加え、加藤清正家臣の加藤重次や近藤四郎右衛門らと共に蔚山城の三の丸に籠城して戦い、負傷しつつも武功を挙げた。これにより、第一次蔚山城の戦いで功のあった毛利氏家臣を賞した、慶長3年(1598年1月25日付の豊臣秀吉朱印状に元重の名(日野新次郎)も記されている[注釈 1][1]。また、同年1月29日に輝元は児玉元兼を使者として、蔚山城での籠城戦の苦労をねぎらう旨の書状[2]を元重に送っている。

長州藩士

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後に毛利氏が長門国周防国の2ヶ国に減封となると元重もそれに従い、長門国美祢郡伊佐郷の内の200石を与えられた。慶長12年(1607年1月3日には輝元から「三右衛門尉」の官途名を与えられる。

関ヶ原の戦い後に毛利氏に帰参していた父・景幸が元和9年(1623年6月12日に死去すると、景幸に与えられていた長門国美祢郡伊佐郷の内の540石と、長門国大津郡日置庄の内の460石、合計1000石の知行が元和10年(1624年1月11日に元重に与えられ、元重に与えられていた長門国美祢郡伊佐郷の内の200石は弟の政重に与えられた。

寛永3年(1626年12月13日毛利秀就から「摂津守」の受領名を与えられた。

慶安2年(1649年7月25日に死去。享年73。嫡男の就征が後を継いだ。

脚注

注釈

  1. ^ この朱印状において名前を記されていたのは記載順に、宍戸元続、浅口元通(細川元通)、吉見広長三沢為虎、三吉元高、天野元信日野元重内藤元盛、三田元盛、和智元盛平賀元相、三尾元尚(井原元尚)、三刀屋孝和、口羽元良成羽親成(三村親成)、桂元武、野山朝経、石蟹市郎、伊達三左衛門尉、赤木元重、周布長次、市川元好、吉田元重、馬屋原弥右衛門尉、楢崎政友、福頼元秀、有地元盛[1]

出典

  1. ^ a b 『毛利家文書』第914号、慶長3年(1598年)比定1月25日付け、豊臣秀吉朱印状。
  2. ^ 『閥閲録』巻29「日野要人」第2号、慶長3年(1598年)比定1月29日付 日野新二郎(元重)宛て毛利輝元書状。

参考文献




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