長州藩時
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明治3年1月(1870年2月)に購入し、雲揚丸と命名した。翌明治4年5月18日(1871年7月4日)に明治政府に献納、6月8日(新暦7月25日)に領収された。それにより兵部省所管となり、雲揚(艦)と命名された。 『帝国海軍機関史』によると、慶応2年(1866年)長州藩がイギリスに注文し、明治元年(1868年)製造、明治2年(1869年)長崎で長州藩が領収、明治4年5月(1871年6月から7月)に献納された。 『公文類纂』によると、明治4年2月29日(1871年4月18日)に山口藩から雲揚丸と鳳翔丸の献納の申し出があり、鳳翔丸は6月8日(新暦7月25日)に受領、雲揚丸は献納申し出の後に損傷したため修理後の献納になった。10月29日(新暦12月11日)雲揚丸は品海に到着、11月29日(1872年1月9日)領収された。 『海軍省報告書』では5月18日(1871年7月5日)に鳳翔、雲揚共に山口藩から献納された、としている。
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長州藩時
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本艦は前述の通り長州藩が対幕府戦に備えてイギリス人カラバに依頼して、イギリス・アバディーンで建造、1868年進水、1869年竣工した。『聯合艦隊軍艦銘銘伝』によると明治元年(1868年)竣工、もしくはその時既に竣工済みであったとの説もある、とのこと(たとえば『記録材料・海軍省報告書第一』によると1861年建造)。『日本近世造船史 明治時代』では起工慶応2年(1866年)、竣工明治3年(1870年)としている 明治2年1月(1869年2月頃)に三田尻で受取鳳翔丸と命名、戊辰戦争の支援のため品川沖に回航されたが戦闘には参加しなかった。同年7月13日(新暦8月10日)、遠州沖で暴風に遭い、マスト3本を切断して清水港に吹き寄せられた。明治3年3月(1870年4月)に長崎で修理を行った。明治4年2月29日(1871年4月18日)に山口藩から雲揚丸と鳳翔丸の献納の申し出があり、鳳翔丸は5月29日(新暦7月16日)品海に到着、6月8日(新暦7月25日)に兵部省が受領、艦名は鳳翔(艦)となった。 『日本海軍史 第7巻』によると明治3年6月(1870年7月前後)に山口藩(長州藩)が購入し鳳翔丸と改名、明治4年5月18日(1871年7月4日)に新政府に献納された。 『海軍省報告書』では5月18日(1871年7月5日)に鳳翔、雲揚共に山口藩から献納された、としている。
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