実業之世界
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実業之世界 | |
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Jitsugyo no Sekai | |
ジャンル | 経済 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 |
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言語 | 日本語 |
出版社 | 三田商業研究会・実業之世界社 |
刊行期間 | 1905年11月 - 1985年12月 |
ウェブサイト | 実業之世界(ウィキソース) |
『実業之世界』(じつぎょうのせかい、英: Jitsugyo no Sekai)は、かつて存在した日本の経済月刊誌。
沿革
『実業之世界』は1905年(明治38年)11月、三田商業研究会により『三田商業界』として創刊された。1908年(明治41年)、野依秀市が『実業之世界』と名称を変更し実業之世界社から再創刊。
『実業之世界』から編集者が分派独立して創刊した雑誌には、石山賢吉創刊のダイヤモンド社『週刊ダイヤモンド』(主幹は元日本銀行営業局長伊藤欽亮)、実業之日本社『実業之日本』、『サラリーマン』、『東邦経済』の雑誌がある(1931年調べ)[1]。
『東邦経済』は統制経済論を推進しており、第二次世界大戦中の商工省による商工会議所の日本商工経済会(のち日本経済団体連合会)への改組に寄与した[2]。
『実業之世界』は、1985年5月号で廃刊となった。
脚注
- 注釈
- 出典
参考文献
- 小汀利得「産業経済雑誌論 - 東洋経済とダイヤモンド」『総合ヂャーナリズム講座11』、内外社、1931年。
- 小汀利得「産業経済雑誌論 - 実業之世界と実業之日本」『総合ヂャーナリズム講座11』、内外社、1931年。
- 史朗生「商工会議所の改革問題 ナチス張りの悟堂案がどこまで実現するか」『東邦経済』、東邦経済社、1939年。
関連項目
外部リンク
ウィキソースには、実業之世界の原文があります。
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