下田歌子とは? わかりやすく解説

しもだ‐うたこ【下田歌子】

読み方:しもだうたこ

[1854〜1936女子教育家。岐阜生まれ本名、鉐(せき)。歌才富み宮中出仕して昭憲皇太后から歌子の名を賜った華族女学校学監教授実践女学校創立愛国婦人会会長


下田歌子

作者澤田ふじ子

収載図書女人絵巻
出版社徳間書店
刊行年月2004.10
シリーズ名徳間文庫


下田歌子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 05:07 UTC 版)

下田 歌子(しもだ うたこ、出生名:平尾 鉐(ひらお せき)[1]嘉永7/安政元年8月8日[2]1854年9月29日) - 昭和11年(1936年10月8日[3]は、日本明治から大正期にかけて活躍した教育者歌人女子教育の先覚者で、生涯を女子教育の振興にささげ、実践女子学園の基礎も築いた。美濃国恵那郡岩村[4](現在の岐阜県恵那市)出身。


注釈

  1. ^ 松本清張著『昭和史発掘』の単行本に収録されなかったエピソードとして、飯野吉三郎との関係が詳細に記されている(『対談 昭和史発掘[22][23]』。なお、本編で引用された牧野伸顕「回顧録」によれば、下田が学習院を罷免された理由には、歌子の行状問題があったとされている。
  2. ^ 明治神宮御鎮座祭記念発刊冊子「神伝護身術」(愛國神武會 1920年)の表紙には“従三位下田歌子先生題字”という記載あり[33]
  3. ^ 恵那市「下田歌子賞」の受賞作品集には『受賞の思い出:下田歌子賞10周年を記念して』[44]20周年記念の『夢』[45]ほかがある[46][47][48][49][50]

出典

  1. ^ 牧野和子・杉原萌『きらりうたこ』実践女子学園、2011年3月3日、168頁。ISBN 9784797985573 
  2. ^ 安政への改元は嘉永7年11月であるが、凶事を避ける災異改元として当該年の元日に遡って元年とみなされたため、嘉永7年=安政元年とされた。
  3. ^ 下田歌子記念女性総合研究所『下田歌子小伝 -下田歌子と実践女子学園の歩み』実践女子学園、2022年1月10日、1,31頁。 
  4. ^ 下田歌子記念女性総合研究所『下田歌子小伝 -下田歌子と実践女子学園の歩み』実践女子学園、2022年1月10日、1頁。 
  5. ^ 広井多鶴子『下田歌子と現代日本』勁草書房、2021年8月25日、335頁。ISBN 9784326603398 
  6. ^ 正確には、満16歳と8か月の4月に上京した。
  7. ^ 宮中に上がって間もないころ鉐は、春の月を歌に詠んだ。美子から「あなたは歌の才能がある。これからは歌子と名乗りなさい。」と言われ、以来鉐は歌子と自らを名乗るようになった。
  8. ^ 中村2006、13-14頁。大関1994、3頁。宮内1973、285頁。佐々木は明治天皇と直接折衝し、この欧米教育視察が下田の仕事に対する箔付けを含むことを説明している。宮内省や華族女学校でも反対意見があり、視察の前下田は華族女学校学監を辞し教授在任となり、さらに表向きは自ら願い出る形で渡航が許可された。明治天皇の下命は出発直前の明治28年8月24日となった。
  9. ^ 森1995、6-9頁。中村1989、208-211頁。中村2006、11-22頁。エリザベス・アンナ・ゴルドン(Elizabeth Anna Gordon)(1851-1925)はイギリスの比較宗教学者。ランカシャーに生まれ、スコットランドの名門貴族ジョン・E・ゴルドンと結婚。2男3女を育てるかたわらヴィクトリア女王の女官を務めた。1886年、35歳でオックスフォード大学を卒業。大学ではF・M・ミュラーに師事。1891年に訪れた日本の自然と文化に魅了され、帰国後日本人留学生を援助。英米加の新聞に呼びかけ洋書9万5千冊を蒐集、同門の高楠順次郎を介しそのうち2万5千冊を「日英文庫」として日比谷図書館に寄贈した(戦災により焼失)。1907年の再来日を機に日本を拠点に比較宗教学の研究にあたる。1916年急遽帰国の際、研究資料や収集品を早稲田大学に寄贈。「ゴルドン文庫」として保管されている。1925年京都で病没。
  10. ^ 大関1994、7-8頁。13、4歳と思われる女王の孫娘(女王の第7子アーサーの長女マーガレットか。1894年当時12歳)は家庭教師を伴って女子学校に通い、普通の生徒と変わらない扱いを受けていた。女王の末子ベアトリスは慈善会に質素な服装で現れ店主と言葉を交わし買物をしていた。次女アリスジフテリアに罹った末娘を自ら看護した結果、若くして亡くなっている。
  11. ^ 城田1992、76-81頁。下田は1894年(明治27年)7月6日付の谷干城への書簡で、日清は友好的な関係を保持すべきであるとの見解を表すとともに、視察期間の1年延長の希望とイギリスでの今後の方針について説明している。
  12. ^ 大関1994、10-12頁。ドロシア・ビール(1831-1906)はイギリスの教育者。1858年からCLCの第2代学長を務め、1893年にはオックスフォード大学セント・ヒルダズ・カレッジ (オックスフォード大学)英語版を創設した。1898年に津田うめが学んだのがこのセント・ヒルダズである。CLCは1895年当時本科生徒数600名、講師70名を有するイギリス屈指の女子高等教育機関で、その学則や運営、試験制度、施設、経営方法は下田が1899年に実践女学校を設立する際影響を与えたとされる。
  13. ^ 大関1994、13-15頁。
  14. ^ 白井1995、96-100頁。CTCの初代校長エリザベス・フィリップス・ヒュースはビール校長のもとCLCの教師を務め、その後ニューナム・カレッジに学んだ女子師範教育の先駆者で、CTCはこれら2校をモデルに創られていた。
  15. ^ 中村2006、18頁。下田の視察期間は当初の1年と、半年の延長申請が2回分認められた。渡航先はイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、ベルギーの6カ国に及ぶ。加えて帰国の際に、英領カナダとアメリカにも廻る。
  16. ^ 中村2006、17-18頁。前年5月には青木周蔵駐英公使との調整がうまくいかず女王謁見の機会を逃した。女官の正装である袿袴での謁見にこだわった下田に対し、日英通商航海条約の調印間際だった青木が欧化主義の観点からこれを排したと中村悦子は推察している。日英通商航海条約は1894年(明治27年)7月16日に調印され、その翌年下田は袿袴姿での謁見を実現した。
  17. ^ 大関1994、16-18頁。
  18. ^ 安在2003、55-102頁。1895年(明治28年)10月から11月にかけ下田は佐々木高行の下を度々訪れ宮内大臣土方久元、侍従長徳大寺実則から帰国後何の沙汰もないと訴えたが、逆に徳大寺は佐々木を呼び出し下田が耶蘇教に変心したか問いただした。これは下田の欧米視察時に在英公使館に勤務していた宮内大臣秘書官長崎省吾が否定し一応決着する。変心の噂の出所は宮内省御用掛兼皇后附女官山川操子と佐々木は推察。翌年1月から2月には修学年齢に達した常宮の教育を巡って皇后大夫香川敬三、娘の宮内省御用掛兼皇后附女官香川志保子、山川操子と対立が起こる。2月2日下田は山川操子の姉で女子高等師範学校生徒取締兼舎監の山川二葉が、妹と香川志保子に代わって常宮の教育を勤めるため女高師に辞表を提出したと佐々木に報告した。
  19. ^ 日本婦人 1号
  20. ^ 歌人で実践女学園の創立者、死去『中外商業新報』昭和11年10月10日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p242 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  21. ^ 「下田歌子が学習院女学部長 清水澄は学習院主事」『国立国会図書館デジタルコレクション』、76-77頁、NDLJP:1920436/1/61 2024年2月1日閲覧“[4・12東朝] 華族女学校を学習院に合併したる結果、昨日左の通り任命せられたり。下田歌子 任学習院教授(二等)兼任学習院女学部長。佐野安 任命学習院教授(三等)。図書属文学博士井上頼圀 兼任学習院教授(四等)。学習院教授法学博士清水澄 兼任学習院主事(五等)。山口造酒 任学習院教授(五等)。東京府師範学校教諭佐藤禮子、原田穂甫、大宮兵馬、三木五百枝 任学習院教授(七等)。野口ゆか、中島俊 任学習院教授(八等)。陸軍教授野矢丈夫、東宮職御用掛小野鋼之助 学習院教課教授業を嘱託す。を委嘱(兼奏任待遇)。左の諸氏は廃官となりたり。華族女学校教授兼幹事浅岡一、同教授土屋弘、鳥山啓、秋山四郎、坂正臣、愛知信臣、田中阿歌麿、木村貞、塚原律子、荒木鐸、羽多野濱、武田貢。” 
  22. ^ 松本清張、鶴見俊輔「述昭和史発掘 番外篇 政治の妖雲・穏田の行者」『対談昭和史発掘』文藝春秋〈文春新書 ; 677〉、2009年1月。ISBN 978-4-16-660677-1https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I0000100018062024年2月1日閲覧 
  23. ^ 『対談昭和史発掘』(2009年刊)の改題、再編集。松本清張「政治の妖怪・穏田の行者」『昭和史発掘』(特別篇)文藝春秋〈文春学藝ライブラリー:歴史 ; 36〉、2019年8月。ISBN 978-4-16-813082-3https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I0298132972024年2月1日閲覧 
  24. ^ a b 桜井役「四 女子中等敎育の発達」『女子教育史』増進堂、1943年、146頁(コマ番号82)頁。国立国会図書館デジタルコレクション、NDLJP:1454075https://dl.ndl.go.jp/pid/1454075/1/82 
  25. ^ 新愛知新聞社東京支社「教育及出版—私立専門学校」『新愛知年鑑 : 附・中部日本特輯』 昭和9年、新愛知新聞社東京支社、昭和8、131頁(コマ番号78 0078.jp2)頁。NDLJP:1109490https://dl.ndl.go.jp/pid/1109490/1/782024年2月1日閲覧 国立国会図書館デジタルコレクション。
  26. ^ >「下田歌子女史」『婦人年鑑』3(昭和12年版)、日本図書センター、1988年、227頁。 ISBN 4-8205-0751-6, 4-8205-6636-9、東京連合婦人会の1937年発行物(昭和12年)の複製。
  27. ^ 下田歌子(第4版)”. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学. 2024年2月1日閲覧。
  28. ^ 『官報』第4046号「叙任及辞令」1896年12月22日。
  29. ^ 『官報』第5547号「叙任及辞令」1901年12月27日。
  30. ^ 『官報』第7051号「叙任及辞令」1906年12月28日。
  31. ^ 下田歌子(第4版)”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 『人事興信録』データベース (1915年( 大正4年1月)). 2024年2月1日閲覧。
  32. ^ 下田歌子(第8版)”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学 (1928年(昭和3年)7月). 2024年2月1日閲覧。 “位階・勲等・功級=從三位、勳三等”
  33. ^ 中沢蘇伯「表紙」『神伝護身術 : 心身鍛錬気合応用』愛国神武会、大正9年。doi:10.11501/909580https://dl.ndl.go.jp/pid/909580/1/12024年2月1日閲覧 近代デジタルライブラリー
  34. ^ 下田歌子『新編 下田歌子著作集』三元社、2016-2020。 
  35. ^ 『大正期婦人問題文献集成』 & (1月)1998, p. 153, 19巻
  36. ^ 大正期婦人問題文献集成』日本図書センター、1998年2月。ISBN 4-8205-4396-2https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I0000030348202024年2月1日閲覧 国立国会図書館編・所蔵 : マイクロフィルム版。マイクロ資料。
  37. ^ 『大正期婦人問題文献集成』 1998, p. 184, 104巻(11月)
  38. ^ 『大正期婦人問題文献集成』 1998, p. 179, 110巻(2月)
  39. ^ 『大正期婦人問題文献集成』 1998, p. 196, 151巻(4月)
  40. ^ 城跡公園(太鼓櫓・下田歌子勉学所・知新館・菖蒲園)”. え~な恵那【岐阜県恵那市観光サイト】. 一般社団法人恵那市観光協会. 2021年9月10日閲覧。
  41. ^ 岩村城跡案内図” (pdf). 農林水産省中部森林管理局. 2021年9月10日閲覧。
  42. ^ 下田歌子賞”. 恵那市. 2021年9月10日閲覧。
  43. ^ 下田歌子賞”. 実践女子大学/実践女子大学短期大学部. 2021年9月10日閲覧。
  44. ^ 『受賞の思い出:下田歌子賞10周年を記念して』恵那市先人顕彰事業「下田歌子賞」実行委員会、2013年。<KH17-L30>。
  45. ^ 『夢』恵那市先人顕彰事業「下田歌子賞」実行委員会〈下田歌子賞受賞作品集:下田歌子賞20周年記念〉2023年。<KH17-M207>。
  46. ^ 『先人に学ぶ』2012年。第9回受賞作品集。<KH17-L31>。
  47. ^ 『ふるさとの先人に学ぶ』恵那市先人顕彰事業「下田歌子賞」実行委員会〈第7回下田歌子賞受賞作品集〉、2010年。NCID BB03213097
  48. ^ 『ふるさと』恵那市先人顕彰事業「下田歌子賞」実行委員会〈下田歌子賞受賞作品集 ; 第11回〉2014年。<KH17-L142>。
  49. ^ 『志』恵那市先人顕彰事業「下田歌子賞」実行委員会〈下田歌子賞受賞作品集 ; 第18回〉2021年。<KH17-M112>。
  50. ^ 『志:今、伝えたいこと』恵那市先人顕彰事業「下田歌子賞」実行委員会〈下田歌子賞受賞作品集 ; 第19回〉2022年。<KH17-M157>。


「下田歌子」の続きの解説一覧



下田歌子と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「下田歌子」の関連用語

下田歌子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



下田歌子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの下田歌子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS