岩倉久子とは? わかりやすく解説

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岩倉久子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/06 09:24 UTC 版)

岩倉 久子(いわくら ひさこ、1862年12月4日文久2年10月13日[1]) - 1943年昭和18年)8月30日)は、宮内大臣岩倉具定の妻。民部大輔澤為量の四女。愛国婦人会会長(初代)。

人物

久子は公爵夫人として愛国婦人会設立に尽力し、初代会長を務めた。日露戦争では銃後慰問事業に活躍し、勲四等に叙された。

具定との間に6男5女を儲けている。

岩倉具幸へ宛てた書簡が、早稲田大学図書館により公開されている。

栄典

家族・親族

脚注

  1. ^ 平成新修旧華族家系大成 上巻』(霞会館、1996年)p.209
  2. ^ 『官報』第7639号、1908年12月11日。

出典




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