欧米教育視察
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明治26年(1893年)春、歌子は常宮・周宮両内親王の御養育主任・佐々木高行から皇女教育のため欧米教育視察を拝命した。その目的は皇室の伝統を保持しつつ、両内親王を海外賓客と接しても遜色ない、時代に順応した皇女として教育することだった。初めての海外渡航にあたり、歌子は西洋文化を取捨選択し長所のみを受け入れる態度で臨んだ。 同年9月横浜を発ち、イギリスのブライトンで英語学校に通った後12月にはロンドンへ。そこでビクトリア女王の女官を務めるエリザベス・アンナ・ゴルドンの知遇を得て、ヴィクトリア女王の孫娘が受けている教育と母親たちの生活に触れた。 市井の人々と親しく交わる女王一家と、王女が主婦として家庭を支える姿に下田は強い印象を受けた。やがて先々で出会う女性たちが豊富な知識、意志の強さ、行動力を持ち、それが教育と生活習慣によって培われたことを知る。 明治27年(1894年)12月、歌子は皇女教育という目的を超え一般の女学校への視察を始めた。明治28年(1895年)の春にはチェルトナム・レディーズ・カレッジ(英語版)(以下CLC)で校長ドロシア・ビール(英語版)と面会。 ビールは高齢で多忙だったにもかかわらず、学校の生徒やその家族と同様に歌子を気遣い、真摯な態度で接した。その厚意を歌子は「真の親切」と表し、その人格と学問の深さ、教育に対する高い理想に感銘した。その後、歌子はケンブリッジ大学の女子学寮ニューナム・カレッジ(英語版)と女子教員養成校ケンブリッジ・トレーニング・カレッジ(The Cambridge Training College for Women Teachers、以下CTC。現ヒューズ・ホール(英語版))を視察。 さらに湖水地方やスコットランド、フランス、ドイツ、イタリアなど大陸の女子学校を訪問。その間の5月8日にはヴィクトリア女王との謁見を果たした。 これらの視察によって歌子はキリスト教の信仰が自主独立と慈善博愛の精神を育み、学校教育や生活習慣の基盤となっていることを理解する。それに加え育児、教育学、衛生、生理、看護法に関する知識は実利主義のもと最新の科学が教授されていた。キリスト教に対する評価は変えたものの、自らの信条を保ち下田は同年8月に帰国。 その直後から皇女教育をめぐる宮中の勢力争いに加わっていくことになる。
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