欧米漫遊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 13:43 UTC 版)
1897年(明治30年)4月、友純は欧米漫遊の途につく。サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨークより5月パリにつき、ロンドンに向かい、欧州諸国をめぐって10月3日マルセイユ出帆。パリでは西園寺公望の病気を見舞っている。各地で美術館、博物館を見、欧米の富豪が公共施設に力をつくし、慈善事業に私財を出すのに感銘をうける。随行は松村豊吉、鈴木馬左也、吉田真一であり、218日間の旅であった。とくにシカゴ美術館で、この建物の保存にアメリカの富豪マーシャル・フィールドが100万ドルを寄付したことを知り、深く心に期すところがあり、自ら社会的使命の1つとして公共用の施設を建設したいとの希望をもつに至った。帰朝後は生活様式も洋風にし、社交術も身につけ、また住友の有能な職員を外国に学ばせることにしたのも友純の意向を反映している。 大阪府立図書館設立時の寄付など社会事業にも関心が高く、関西における近代数寄者のひとりであり、中国古銅器類の世界的収集家としても知られた。泉屋博古館のコレクションの多くを友純が蒐集した。建築や庭園にも造詣が深く、先祖から引き継いだものも含め15の邸宅を所有した。明治36年(1903)に建てられた須磨別邸は、欧州視察後、英国流の国際的社交の場・子女教育の場が必要と痛感した友純が、 野口孫市に指示し建築させたもの。戦後、別邸跡は神戸市に寄贈され、現在須磨海浜公園となっている。
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